Gazes Also

…もまた覗く

全日本プロレスとは何か/全日本プロレス「らしさ」とは何か

3.23全日本プロレス後楽園ホール大会で行われる、王者宮原健斗 対 挑戦者諏訪魔三冠ヘビー王座戦を前に、表題の問いかけをテーマにしたインタビューが公式Youtube週刊プロレスから発信されている。

公式Youtubeのインタビューでは20日現在、秋山準、木原文人リングアナウンサー、大森隆男和田京平名誉レフェリー、武藤敬司川田利明の6人のインタビューがアップされた。あと2日であるとしたら、渕正信と小橋健太がありそうだが、どうだろうか。

今上がっているこの6人だけでも、それぞれ異なりつつ重なり、相互に補完しあう回答が上がってきていてなかなか興味深いので、簡単にとりまとめつつ、感想などを書いておきたい。

 

宮原健斗の矛盾

まず、週刊プロレス2058号の宮原健斗インタビューである。
難解…というか宮尾記者が何度も似たような質問を繰り返すせいで、宮原の回答も少しずつそのたびにズレて行きわかりにくいので、少し整理したい。
まず「全日本プロレスとは何か」という問いの答えに相当する部分をインタビューの中から抜粋するなら、間違いなくこの箇所になる。

「全日本は歴史と伝統が息づく場所。その場所がいまはボクだってことです」

この一文が宮原の答えである。現在進行形では自分がそうだという話で、本来的にはこれを結論としても良いかもしれないのだが、この後宮原は「全日本“らしさ”とは何か」と設問を変えて回答を試みようとしている(というか宮尾記者が何度も聞くので答えざるを得なくなっている)。

というかそもそも、公式Youtubeが「全日本プロレスとは何か」と問うているのに対し、宮原は終始「全日本“らしさ”とは何か」という言い方をしている。
公式が本質論を語ろうとしているのに対し、宮原の言い方はパブリックイメージが主題になっているのだ。
そして、宮原はこの「らしさ」に関して、矛盾した回答をしている。

①「ボクが言葉を発したり、行動することって全日本らしくないんですよ」

②「ボクは申し訳ないけど、全日本らしさっていうのは知らない。(中略)そんなのあるのかな?って思っちゃう」

恐らく、宮原の「全日本“らしさ”とは何か」の問いに対する答えは②である。「らしさ」などというものは「ない」。その時々のチャンピオンこそが「全日本」であり、それぞれの王者自身のイメージが「全日本らしさ」を作っているということだろう。
だがしかし、同時に①なのである。
自らの定義を「全日本らしくない」としているということは、つまり宮原の中には実際のところ「全日本らしさ」が存在しているのだ。そして、その「らしさ」から自分は外れているという自覚がある。

質問立てが悪いせいで、一つのインタビュー内で矛盾した回答が発生している…と宮尾記者のせいにしてもいいのだが、この矛盾こそが、宮原健斗の今回のテーマなのだろう。歴史が作り上げてきた「全日本らしさ」というのは確実に存在する。だが歴史が長い分、それぞれの時期で「らしさ」は微妙に異なっている。その「らしさ」が風前の灯になるほど変わっていた時期すらある。
そしてそれとは別に、団体の独自テーマや方向性というものは、他団体との差異を明確にするためにも、無くてはならないものだ。
全日本と新日本の違いはわかりやすかろうが、では同じ全日本系列であるNOAHや大日本とは何が違うのか? その最高王座である三冠戦は、どういった試合が最上であるとされるのか?
歴史に寄らない「全日本らしさ」こそ、宮原健斗が追及すべきものであるだろうし、それは本人も多分わかっている(が、宮尾記者の問いたてがぐちゃぐちゃなので言葉にできなかったのだろう)。

 

とはいえ、歴史は重要…というより、歴史抜きに何かを規定し得ることは無い。
以下に、公式Youtubeのそれぞれのインタビューを見比べて簡単にまとめてみよう。

秋山準

www.youtube.com

Q.全日本プロレスとは
「プロレス界の頂点に立つべき団体」

Q.三冠王者といえば
「最初は鶴田さんだったが、直接見てきたので(やはり)三沢さん」

Q.印象に残る三冠戦
「三沢対小橋。これ以上やったら死ぬなっていう。ブランド(力)が凄すぎて、超えられない」

Q.三冠と他のベルトの違い
「歴史」

Q.三冠戦とは
「死力を尽くして最後まで戦う、最高のタイトルマッチ」


あっこれは思ったより…思ったよりNOAHな回答が出たな、というのが私の率直な感想です。三冠王者三沢、試合は三沢小橋と言った時点で「死力を尽くして~」の部分は三沢小橋が基準であり、それははっきり言うとNOAHに持っていかれたコンセプトだと思います。持っていかれた、というよりは全日本の歴史として残ってもいるので、「完全に被っている部分」と言うのが正しいニュアンスでしょうか。
ただこれは秋山さんの選手としての来歴を鑑みれば当然ちゃ当然なので、特に不思議なことはありません。

◆木原文人

www.youtube.com

Q.全日本プロレスとは
「明るく楽しく激しく、そして新しく、さらにカッコよく」

Q.三冠とは
力道山のインターナショナルが62年、アントニオ猪木のユナイテッドナショナルが50年近く、ジャイアント馬場が創設したPWFが40年近くの歴史がある」

Q.三冠戦とは
「歴史と時代、全てを背負って頂を目指す戦い」

ジャンボ鶴田の三冠統一以降の試合をほぼ全て観て来た木原さんの語る「三冠」は、かなり歴史に重みを置いたものでした。
秋山さんの言う「死力を尽くして~」じゃない三冠戦もたくさん観て来た人ならではの回答という感じがします。
結びのあたりで、「前代未聞のV11」に挑戦しているという点では宮原健斗もまた歴史に対する挑戦者である、という話をしているのですが、これがなんとなく、最初に挙げた宮原インタビューの矛盾の原因のような気がします。V9までは歴史を否定し続けても良かったのだと思いますが、ことここに至って、歴史から逃れられなくなったというか。

大森隆男

www.youtube.com

Q.全日本プロレスとは
「日本中、世界中のプロレス団体の中で、ナンバーワンの団体」

Q.三冠戦とは
「日本一、世界一の価値ある試合をする選手権試合。いや、ワイルドな選手権試合だ!」

お話のほとんどが、ご自分の三冠戦に関するものだったので、これこそが現役プレイヤーだ!!と逆に嬉しくなりました。大森さんの五冠戴冠時間、めちゃくちゃ短かったよね……。いやダブルタイトル持ち時間はみんな大体短いけど、それにしても短かったですよね…。
また機会を作って狙ってください…!
偶然だろうけど、潮﨑と言い回しが被ってしまっていて(日本一、世界一のとこ)なんかフフってなった。

和田京平

www.youtube.com

Q.全日本プロレスとは
「歴史。タッチにしてもロープワークにしても、馬場さんから受け継いだ技術がある。受身もそう。他の団体とは違う。歴史」

Q.印象に残る三冠戦
「全日本でというのであれば、三沢対川田。何が起こるかわからない。いきなりスピンキックで三沢が脳震盪を起こす。川田が腕を骨折する。それでもやる。開始5分で止められるかっての。それが三冠戦。バチバチな緊張感がある」

Q.全日本とは
「ルール。プロレスはルールがあるから面白い。うわー全日本厳しいとお客さんに思われるくらいの。プロレスのルールを全日本が(お客さんに)教えましょう」

Q.三冠王者
「レスラーの頂点。三冠は全日本の宝」

Q.三冠戦とは
和田京平


三冠戦以外の宮原健斗は王者らしくないのでむかつく!諏訪魔を応援したい!とちょっと笑いながら言っていたのですが、これはPWFルールを堅守する京平さんならではの見方だな~と思いました。
結局のところ、何をもって三冠戦であるかと言うと、PWFルールに則っていれば三冠戦なんですよね。当たり前ですけど。死力を尽くすか尽くさないかは、その後の問題なわけです。だからこの三冠戦=和田京平は(まあ実際京平さんが居ない時期も三冠戦は行われていたのですが)、至極納得の行くものです。
三本時代を長く見てきた京平さんは昔の方に思い入れがあるし、三本時代といえば川田、三沢、ハンセン…(鶴田さんの名前が出なかった)、でも今は一本でいいのだろうし、一本のベルトが未来へ歴史を刻んでいくのだろうし、その一本は今、宮原ありきのイメージである、というのは、なんとなく今も見ている昔からのファンの大体の総意にあたる言葉のように思えます。
というか、三冠戦といえば三沢川田なんですね。秋山さんの言う三沢小橋ではなく。これもすごくわかります(上にも書いたけど三沢小橋はNOAHすぎる)。
あと奇しくも、という感じですが、上記の宮原インタビューと同じ号に橋本大地のインタビューが掲載されていたのですが、大日本と全日本の違いとして、「全日本には技術がある」ということを言っていたのが印象的でした。京平さんのインタビューでも「技術」という言葉が出てきていますが、基礎技術に重きを置くのは全日本の伝統ですよね。

武藤敬司

www.youtube.com

Q.全日本プロレスとは
「7年前俺が去った団体。それでも続いているってことは、まあ頑張ったってことなのかな」

Q.全日本のスタイル
保守本流力道山から始まったものは馬場さんの方へ伝わった。受けの美学の会社であるというイメージがあったが、実感もした」

Q.三冠とIWGPの違い
「ファン(客)が違う」

Q.三冠ベルト
「なんで一本にしちゃったの。三本作れば良かったのに。三本あれば三本なりのストーリーがあるんだから」

Q.三冠王者といえば
「比較はできない。だが、レスラーたるものどれだけの人間に影響を与えたかが重要。力道山なんかは誰もが見ていた。俺の時代も後楽園ホールなんかでは三冠戦はやらなかった。そういうパイが小さくなってきたのは寂しい」

Q.三冠戦とは
「記憶は薄れていくものだから、記録を出したほうが勝ちだよ」


内部と外部の境目の人の話として面白いですね。
保守本流という言葉が引き出せたのが最大の収穫だと思います。これまでの人たちが語ってきた言葉がすべてその証拠ですよね。

というかかつての武藤全日本時代も、別に「全日本らしさ」とか考えないでやってたんだな…というのがよくわかりますね……。
ここで「らしさ」なんか1ミリも考えずに会社を経営し、三冠王者にもなっていた人が出てきたというのは大きいです。
考えないとこうなる、ということの見本だと思います。

川田利明

www.youtube.com

Q.全日本プロレスとは
「僕にとっての原点。全日本プロレスという名前を、どんな形でもいいからいつまでも残して欲しい」

Q.全日本と聞いて何を思い浮かべるか
「馬場さん。馬場さん、鶴田さん。その名前が出てこないと全日本プロレスじゃない、というほど当時はすごかった」

Q.三冠王者といえば
「鶴田さん。ベルトはまとめちゃって正解だと思ってた。三本あれば興行で色々できるんでしょうけど、まとめたほうが良かった」

Q.印象に残る三冠戦
「やはり三沢さんとの試合。あの人が普段出さない表情や感情を出してくれたから。俺に対してだけ特別な感情を出してくれた」

Q.V10時代の防衛ロード
「一人も同じジャンルの人がいない。みんな印象に残っている。ドン・フライは最初の5分がすごかった。」

Q.宮原健斗のV10に関して
「(V10ということで)自分の名前が出てきて、思い出してくれるなら嬉しい」

Q.諏訪魔に関して
「昔ながらの全日本プロレスの片鱗が残っている」

Q.全日本プロレスのイメージ
「アットホーム」

Q.全日本プロレスのイメージ
「これというものに固定してしまうと、幅がなくなってしまう。みんなが理解してくれれば(それが三冠戦である)。どんな形でも、三冠戦というものを残す事が大事」

 
どんな形でもいいから全日本プロレス、三冠戦というものを永遠に残して欲しい……という言葉が初めと終りに繰り返されたのが印象的です。
四天王プロレスという全日本プロレスの究極の時代と、大量離脱でそれが崩壊し、まったく異なる思想の武藤全日本へと変化した時代を両方見てきている人が出した、最終的に何を守るべきなのかということへの答えだと思います。
名前が残れば、記録も残る。その中で、過去の人々は永遠に残る。
名前さえ、名前さえ守れれば……。

全日本プロレスとは諏訪魔である

ところで私は、今の全日本プロレス諏訪魔だと思っています。
対外的には明らかに「宮原健斗が王者の団体」だと思いますが、実際のところ、芯の部分というか、リング上の基準を作っているのは諏訪魔だからです。
全日本の歴史を遡ると、鶴龍時代であるとか四天王時代であるとか、いくつかの区切りがあります。
「全日本らしさ」はそれぞれの時代によって、微妙に異なっています。
京平さんのように、ひとくちに「バチバチ」と言っても、当たりの強さ、方向性、技術の質や量などは結構違いますよね。
で、その差異の基準は、その時代のトッププレイヤーの能力に左右されます。
この基準、今現在…というか少なくとも、2013年からずっと三冠戦の基準は諏訪魔なんじゃないかと思うんですよ。
諏訪魔という技術と膂力を持ち合わせた怪物的なレスラーが、遠慮なしに動ける激しい試合。宮原政権に代わり、諏訪魔がシングル戦線から遠ざかってなお、この基準値は特に更新されていないように思います。
これは宮原が割りと相手に合わせて内容を変化させられるレスラーだから、というのもあるんですが(諏訪魔さんは「遠慮する」くらいしかバリエーションがないですよね…)。
宮原が先に戴冠していれば、基準値となっていたと思うのですが(その場合は試合に「速度」も求められるようになっていたでしょう)、諏訪魔が先である以上、これは覆しようの無いことです。
ついでに言うと、これまでの「基準値」は大体黄金カードありきなのですが、今の基準値は黄金カードじゃないんですよね。黄金カードが無いので。
諏訪魔 対 宮原は黄金カードのポテンシャルを持ちながらも、本人同士の噛み合わなさによって黄金カードにはなり得ていません。諏訪魔さんは宮原に興味が無いし、宮原は諏訪魔さんのレスラーとしての古臭さが嫌いだというのでどうにもこうにも。
諏訪魔の黄金カードといえば「新ライバル伝説」と言われた対潮﨑なのですが、今いないのでどうにもこうにも。

諏訪魔は名実ともに全日本プロレスである、と私は思います。
じゃあ宮原は何なのかと言われたら、それは「宮原健斗」です。彼は別に「全日本プロレス」ではない、というのが現状。別にそれでもいいのでは?と思うのですが、もしそれ以上のものを彼が求めるのなら…やはり記録に残るしかないのではないでしょうか。
どんなものでも、記録に残れば「歴史」ですから。IWGP王者の歴史を振り返る時どうしてもボブ・サップの名前が出てしまうのと一緒です(例えが最悪)。

うたかたの夢が消えるとき

f:id:nerilow:20200316131714j:plain

2020.3.15WRESTLE-1大田区総合体育館大会に行ってきました。
本来、15日はNOAHのファン感謝デー的な大会があり、そちらのチケット予約もしていたのですが、コロナ禍で中止となりまして、かなり迷ったのですが大田区へ。
メインのカードが決定したのは2.12W-1後楽園ホール大会後のことで、カズ・ハヤシ中嶋勝彦というマッチアップを聞いた瞬間、「観たい」と思ったのは確かです。
かつて全日本のジュニア王座戦で戦った二人。ハヤシさんの本気のシングルも長らく観ておりませんし(W-1を観に行っていないので、団体内でそういう試合があったのかどうかすらわかりませんが)、興味が沸いたのは事実です。
それにW-1で外敵ヒールとして振る舞う、他団体王者中嶋勝彦をちゃんと見ておきたいと思ったのも事実。
ただ、いざ15日のNOAH北千住大会が中止となり、実際行ける(W-1は大会を中止しなさそうである)となったとき、改めて「本当に観たいのか?」と自問すると、迷いの方が大きくなっていました。
なぜかというと、それは
⓵ハヤシさんが明らかに一線を引いてコンディションも良くなさそうな見た目なうえに、左足大腿二頭筋断裂という大ケガをした状態で、中嶋勝彦の現役の上から数えた方が早いベストコンディション+世界有数の蹴撃+容赦なきヒールムーブにきちんと対抗して試合ができるのだろうか
②という点を踏まえても結果が見えすぎていて、「中嶋勝彦をどういう説得力で負かせるのか」という点だけを観に行くのってあまりに貴族の遊びでは?
③これまで何度か観たW-1のビッグマッチが面白くなかったので、それ以外の試合にまったく気持ちが乗らない
という3点が主に挙げられます。
そんなことで悩んでいたところに、3月31日をもってW-1活動休止のニュース。
い…行きたくねえ…
上記の②は、とはいえ展開次第でわからんかなとも思っていたのですが、まあこれ決まったら外敵王者に持たせっぱなしで活動休止とかあるわけねーじゃんとプロレス観たことない人だって思いますよ。いわんやすれっからしのアメプロ畑出身者をや(アメプロ畑は「株価が下がるから王座移動はない」みたいなバックステージ政治言説を毎日致死量まで浴びさせられるゾンビ製造畑です)。
いやむしろ「看取る」つもりで行くべきなのか?
コロナ禍の中押し切って開催されるビッグマッチがどんなものなのかという純粋な興味もあるにはある……

思い返せば7年前、2013.9.8W-1旗揚げ戦を私は非常に複雑な気持ちで、ただ大きな希望は持ったまま観に行きました。
2013年6月に持ち上がった全日本プロレス分裂騒動。
その中心は当時のオーナー白石伸生氏の言動を巡る是非でした。3月くらいからFaceBook上で「現代プロレスに蔓延るヤラセ」や新日本プロレス批判を始め、謎の「ガチンコ格闘プロレス」路線の提唱を始める所信表明、そりゃ当時の新日オーナー木谷氏の怒りを買うわ、それを諫めた内田社長の解任を持ち出すわ、もう蜂の巣をつついたような騒ぎになっていたのです。
当時唯一の業界紙にして、当の白石氏から「新日に広告を出してもらって馴れ合っている」との批判を受けた週刊プロレスは、(当然ちゃ当然ながら)のっけから白石批判の論調。武藤全日離脱の第一報と週プロのインタビューが間を置かず出たことからも、まあ完璧に武藤の味方でした。
というかまあ、白石氏の滅茶苦茶な上に当時のプロレスに対する知識の浅さ(NOAH観たことなかったっぽいことも言ってた)などを見て、白石氏に与する人はファンも含め皆無……という状況だったかと思います。
私も「ガチンコ格闘プロレス」という文字列に激しい嫌悪感を催しておりました。ガチンコってなんやねんと。むしろ総合舐めてんのか的な。今思えば、割とピュアなプロレスファンであった白石氏が、新日本プロレスリング&全日本プロ・レスリング創立40周年記念大会などを経て色々見て、なんかピュアに傷ついちゃったんだな……と察することはできますし、多分「ガチンコ格闘プロレス」とはオタクが言う「バチバチした熱い試合」のことなんじゃないかと推測もできます。語彙が無いというか、この「バチバチした熱い試合」ってジャンル名があるようでないのでフンワリしててしゃべりにくいですよね。それはわかる。激闘?死闘?それはどっちかというと形容詞だしな。難しいよ。
とはいえ、世間の論調は白石=バカ、白石を批判する武藤=かわいそうという感じで、大義は武藤の側にあったわけです。
そんなこんなで分裂騒動が起きて、バカがオーナーの団体と、武藤が新規に立ち上げた団体が二つ目の前にあったら、どっちをまず応援するかといったらまあ…そりゃ…武藤だろ……という感じで、9.8W-1旗揚げTDCホール大会は満員御礼となったわけです。

全日本プロレスは、この分裂騒動で客入り面において大打撃を受けました。
覚えてますよ、6月の後楽園ホール大会で、白石オーナーがマイクを取り、震える声で「私はもともと新日本プロレスさんのファンです(だから真摯に反省していると言いたいらしい)」と言った時のズンドコな気持ち……。あんなの味わいたくないよね。わかる~。
しかしながら、前年の文体における船木対諏訪魔戦の三冠戦や、1月より参戦したバーニングがエントリーしてのチャンピオンカーニバルで行われたような、それこそ「バチバチした熱い試合」の路線を踏襲した興行を行っていたのは、バカがオーナーとして残った団体、全日本プロレスの方だったのです。余人はいざ知らず、私が期待していたのはそれ。
W-1は? 違いました。
9.8旗揚げ戦、最初にチアワンのパフォーマンス付きで「ヒールにはブーイングをしましょう」の解説Vが流れた時、私はそれに気づきました。めちゃくちゃ寒いとこに来ちゃったぞ…と震えたのを覚えています。コールもブーイングも「しましょう」じゃなくて、したいヤツがすればいいんだよ。客に観方を強制すんな。
ヤベーぞ…と思っていたところに流れる第1試合、大和ヒロシの生歌。絶対ヤバい。
今でこそ海苔屋さんですが、当時のイメージは佐藤光留とのタッグ、情熱変態バカでの、その名の通り情熱・変態・バカとしか言いようのない熱い試合のイメージでしたし、2013.6.2後楽園ホール大会での金丸義信とのジュニア王座戦、良い試合だったんですよ。ああいうシリアスな試合をヒロシに求めていた私は、大ダメージを負いました。海苔は美味しいので良いと思いますが、まだこの時は海苔も売ってないしね。
ヘビー級は諏訪魔、ジョー、曙、バーニングが残留した全日本の方が充実して見えるが、ジュニアはジュニスタとコンカズがいるW-1の方がスターが多いだろうと思っていた矢先のこれ。
コンカズはなぜか突然無差別級とか言い出して、当たり前のように関本岡林に負けていた。なぜ急にそんなことを言い出したんだろう。わからん。その後挑んだ高山さんに「ヘビー級はそもそも無差別級なんだよ」という当たり前の突っ込みをされていた。
そして何がダメだったかというと、当日まで参戦がわからない「X」がいたんですが、それがボブ・サップだったんですよね。あのね、サップだってわかった瞬間のTDCホールに流れたドン引き感、すごかったよ。私もドン引き。一緒に来た親友もドン引き。
誰だ、2013年にサプライズゲストがサップで良いと思ったやつ。
武藤か? 武藤なのか? 海外折衝をしてたらしいジミー鈴木なのか?
ほんとびっくりしました。
で、私は本当にわからなくなったので、その後TSUTAYAオンライン宅配DVDレンタルで、NOAH旗揚げ以降の全日本のDVDを全部観ました。当時は幸運なことに、ボーナス収録がかなりいっぱい入ったビッグマッチDVDの他に、年間ベストみたいなのが毎年出ていたんですね。2010年までですけど。
それで私はひとつの結論を出しました。
武藤全日本とは、武藤敬司の脳内を再現した夢の世界である。
そしてW-1はそれを正しく継承した団体だ。
ていうか武藤全日本、めちゃくちゃアメプロっぽい。スターを豪華に無駄遣いした小ネタで楽しませ、メインの三冠戦だけはキッチリした試合で締める、パッケージプロレス。アメプロ畑育ちにとってはあまりに見慣れた光景でした。
RO&Dの存在もデカいのですが、特に(川田利明がいなくなってからの)2005~2007年のチーム3Dが来たり、ザック・ゴーウェンが来たりするあたり、めちゃくちゃアメプロを感じた。彼らがいるから、というよりその招聘されるストーリーの流れが。
それらのソープオペラというにも小型の作られたドラマの合間に、太陽ケアの戴冠に人目も憚らず大号泣してしまうTAKAみちのくであるとか、ホンモノのドラマもいくつか混ざり、なるほど納得のワンダーランドでした。
しかしそれも暗黒期の新日に乗り込んで、武藤自ら三冠+IWGPの四冠とかやり始めたあたりが頂点だったのか、やりたいことを全部やり終えてしまったのか、それまでずっと大体新日/WCW人脈で新ネタを盛っていたもののついにネタが尽きたのか、新日人脈の最後の切り札的に呼ばれた船木誠勝プロレス復帰参戦によって、団体の色がぐるりと変わっていったように思えます。夢の世界がうまく回らなくなったというか。試合の空気が変わったというか。
船木さん、アメプロ的なドラマ仕立ての試合、できませんから。
勿論それまでも、主に小島聡が牽引したヘビー級戦線は、アメプロソープオペラ部門とは一線を画すものでしたが、船木さんはそういう枠組みや「武藤の世界観を壊さない」みたいなことはあまり考慮している節はなかったように思われますので、やはり船木さんの存在は劇薬だったかと(そんな船木さんに旗揚げでパイプ椅子持たせたW-1)。
しかしそれによって水を得たのが諏訪魔
諏訪魔さん、アメプロ的なドラマ仕立ての試合、できませんから……。
武藤の膝下において成長し、三冠王者となるもいまいち時もところも得られなかった諏訪魔が、船木誠勝と向き合い「バチバチの熱い試合」をすること(してもいいということになったこと)に活路を見い出したのは想像に難くありません。
そんな風に、自然発生した「バチバチの熱い試合」が団体の気風を変えんとしていた時期に現れたのが、2012年末にNOAHを退団したバーニングの5人。
あーもう絶対面白い試合になる…観た過ぎる…船木と秋山の再戦も観たいし船木と潮﨑も観てみたい…ていうか諏訪魔と潮﨑の続きが観られる…(これは観られたので最高)ていうかジュニスタ、コンカズと金丸鼓太郎青木…ヤバい…観たい…今でもそんなん観た過ぎるわ…そんな期待がめちゃくちゃ高まっていたんですよ。私の中ではね。
そんな諸々の期待をぶっ壊して旗揚げした新団体で呼んだXがボブ・サップかあ……。
確かに武藤全日本の路線ではあるわ……。謎に往年の外国人有名選手がゲストで来る感じ。めちゃくちゃ納得しました。そして旗揚げから何回かは諦めずに行ったものの、全日が面白すぎたのでW-1とは次第に疎遠となって行きました。

いやまあその後もTNAと提携してAJスタイルズを呼んでくれた時とか(私の大好きな「TNAのAJ」を観させてくれたことはずっと感謝します)、野村青柳が参戦した時とか観に行ってはいるんですけど、期待のゲスト以外の試合はなんというかぎこちないアメプロというか、武藤全日本時代、言うて一流の選手を使ってやっていたアメプロ風興行を、まだ未熟な若手にやらせるのはそりゃ無理ですよという印象しかありませんでした。
武藤の夢の世界をきちんと成立させるにはかなりの役者が必要で、マスターズが上手く行くのは逆に道理に思えるんですよね。
その後のことで覚えている試合は2試合くらいなのでその印象を書くと、KAI対稲葉の王座戦、試合前のVで「極反り卍が極まったら勝つ」を連呼していたので、そうなんですねと思ってみていたら、「極反り卍が極まったから勝ったことになった」という感じの試合だったので、そうなんですね~~と思いました(他に言いようがない)。
あとは海外から帰ってきた児玉くんと鼓太郎さんの試合で、これも「なんか最後に危険な感じのオリジナル技が入ったので勝ったことになった」としか言いようのない試合で、まあ…若手を成長させないとね…と思いました。この気持ちはその後、青木が岩本くんに負けたときも思ったので、まあしゃあない。釈然としませんが。
というか危ない角度の技が入ったから終わる試合、私本当に苦手です。大体の試合はそうじゃんと言われたら、お前な、それまでのロジックに乏しいからそういう印象になるんだよ。身体能力のすごさが観たけりゃ新体操観てるっつーの。

そんな感じでボロカスな印象しかないのに…なぜ観に行ったんだ、家でゲームしてろよと旗揚げ戦を一緒に観に行った友人に言われましたが、まあ観に行く決め手となったのは、GAORAの中継中止が発表されたからです。
これ、今後検証ができなくて何が起こったのかわからない密室状態になっちゃうじゃん、こんなにボロカスな印象しかないのに、それをモヤっとしたまま引きずって、この後別団体に上がるであろうW-1の選手を見るのは嫌だなあと思ったので、まあ上記の武藤全日本のDVDを全部観た時の気持ちを奮い起こして、大田区に参りました。

前置きは以上です(長い)。
この後は各試合の感想を簡単に書いて終わります。

 

シングルマッチ 30分1本勝負
藤村加偉 vs 仁木琢郎

すみません、着いたのは15時ちょうどくらいだったので、そもそも間に合っておりませんでした。
当日券を買おうとしたら行列ができていて「マジか?」と思ったらそれは関係者取り置き引き換えの行列で、それもなんかこの団体っぽいなと思ったが、それはW-1に途中から合流した、かつて「アフターパーティー団体」と揶揄されたWNCの印象だ(海外選手をよく呼んでくれたのでアメプロ畑者としてちょくちょく観に行っていましたが、華名さん(現世界のASUKAさん)への賃金未払い事件以降観るのを辞めました)。
そして驚くことに、自由席が売られていない。
当日1000円アップは告知があったので、ギリギリまで迷った私が悪いのだ…と思いましたが、当日自由席ナシは告知が無かったぞ。ハードコア商売やな~。
というわけでスタンドC席を買いました。これでNOAHのグッズ通販すればよかったかもしれないね。でも勝彦も観たいしね(自分に言い聞かせる)。

席についたら仁木くんが逆エビで勝っていました。逆風すぎる状況の新人、どうしたらいいんだろうね…。私も初就職先がクソすぎて2週間で辞めたよ。がんばれ。


6人タッグマッチ 30分1本勝負
アンディ・ウー&アレハンドロ&エル・イホ・デル・パンテーラ vs タナカ岩石&本田竜輝&SUSHI

f:id:nerilow:20200316131712j:plain

大会場で訊く『スシ食いねェ!』、なんか細かいアレンジがあるんだなといつも思っている気がする。
本田くんが頑張っているように見えました。
おしゅしはヘビー級として頑張ってほしい。諏訪魔に高角度回転エビ固めで勝った時のことを忘れないでほしい。

6人タッグマッチ 30分1本勝負
頓所隼&ペガソ・イルミナル&田中将斗(プロレスリンZERO1)vs CIMA(#STRONGHEARTS)&T-Hawk(#STRONGHEARTS)&鬼塚一聖(#STRONGHEARTS)

f:id:nerilow:20200316131649j:plain

ストハー、DDTで一回観たっきりなのかな?
T-Hawkはその時多分いなかったので初めて観たのですが、なるほどスター感のある選手で納得しました。
そしてどこにでもいる田中将斗。どこにいてもかっこいいけど、ほんとどこにでもいるな…。
ストハーが良いユニットであることは疑いようもないのですが、なんとなく余裕な感じの相手とやってるところしか知らないので、明らかに格上で強い相手とやったらどうなるのかなーということが気になります。

▼8人タッグマッチ 30分1本勝負
近藤修司&征矢学&立花誠吾エル・リンダマン(#STRONGHEARTS) vs 伊藤貴則&一&MAZADA&歳三

f:id:nerilow:20200316131715j:plain

アル・スノーの苗字が出てこなくて検索しちゃった。マネキン生首キャラといえばアル・スノー。クリスチャンとの欧州王座戦で、「その骨ばったケツを賭けろ」と発言したアル・スノー(苗字は忘れてもそういうことは忘れない)。
一くん、ずっとこういうキャラなの?と思ったらキャラチェンジしてのこういうアレだったんですね。色物はプロレスが上手い人じゃないと生き残れないぞ。

W-1活動休止の会見で、ハヤシさんがプロレス総合学院にかなり熱意があったんだなあと察せられることを色々仰っていて、なるほどなあと思ったんですが、確かにアメリカではお金を払ってジムでプロレスを習い、ジム主宰の試合や地方インディーでデビューするというルートは普通なんですよね。
でもそれはつまり…そういうデビューしたてホヤホヤの人って、当たり前だけどこの方式が一般化しているアメリカでは、大きめの団体にはいないということです。日本の新弟子方式はデビューまでに時間がかかって、お金をBETしていない分振るい落される量も多いですし、「この団体の子になりに来た」感が高いのでファンの迎え入れる感覚も優しいですよね。アメリカ方式はそういうの無いです。
W-1の上位選手(武藤、コンカズ)のレベルの高さを考えると、興行のパッケージの中に「素人に毛が生えた」レベルを入れちゃったというのはなかなか…そんなにレベル差が激しいアメリカの団体、あんまり聞いたことないですよ…。そういう方式の育成自体はいいけど、日本で、お金を出して観る方のことを考えたらあんまりやらない決断だったのではないでしょうか……。なんかやりたいことが前にありすぎて、全体的にユーザーフレンドリーじゃないんだよな武藤全日本もW-1も。客の方を向いていない。

WRESTLE-1クルーザーディビジョンチャンピオンシップ 60分1本勝負
【第15代王者】吉岡世起 vs 【挑戦者】ヒート

f:id:nerilow:20200316193431j:plain
王者はどう見てもヒートさんの方。余裕綽綽、明らかにミノルスペシャルへの布石とわかりつつも防ぐことのできない徹底した左足責めで吉岡くんを追い込むも、なんかすごい粘って吉岡くんが勝ちました。吉岡くんのクラッシュドライバー初めて見たけど危ないなアレ。スタイルズクラッシュ(バイソンテニエル)のホールドで前に倒れずそのまま垂直にパイルドライバーするというやつですが、危ないよ~。最後に危ないよ~と思ったので危ないよ~という印象の試合になってしまった。気を付けてね…。
とはいえ、ストハーに入って明らかに生き生きした選手になったのは間違いない吉岡くんなので、他団体に上がっても活躍できること間違いないでしょう…と思ったらもう30歳過ぎてるのか。時間の余裕あんまりないな。がんばってください。フリーで生きていくなら、目の前にいるたな…ヒートさんを目指さねばならない。
旗揚げ翌月の10.6後楽園ホールで確か彼の憧れの金本さんとやっていた記憶があるんですが、あの箸にも棒にもかからない新人がここまで来たのが観られたのは良かったです。金本さんが好きってことは、そのパートナーである田中稔にも思い入れがあるんだろうな。まあ田中稔はヒートさんの友達というだけなんですけど。ミノ様とヒートさんの関係めっちゃ好き。

スペシャ6人タッグマッチ 30分1本勝負
武藤敬司浜亮太(大日本プロレス)&中之上靖文(大日本プロレス) vs 河野真幸崔領二(ランズエンド)&KAZMA SAKAMOTO(フリー)

f:id:nerilow:20200316131716j:plain
うわーこれどんな気持ちで観ればいいの…と思っていたら、途中試合が終わった中堅~若手までがワーッと乱入して、本来団体の長兄ポジションである河野くんに次々と串刺し攻撃を決めたので、なんか涙ぐんでしまった。
これはKAIの分!これは真田の分!と彼らが思うわけもないだろうが、そもそもW-1は今はどっかに行ってしまったKAI、真田のエース争いを軸として幕を開けた。
その時大体の人は、長兄・河野くん(全日本で諏訪魔より先にデビューしてるんですよ)を横目でチラっと見て「……河野はヒール路線で頑張るらしいから…」と思ったのではないだろうか。
あんたがしっかりしていれば…というのはあまりにも無責任で重すぎる。でも河野くんがしっかりしていたら…どうだったんでしょうね。結末は変わらなかったかもしれないけど、少なくとも初期の抗争はもっと面白かったんじゃないのかな。この日も場外に連れ出した武藤を椅子に座らせてちょっと転がしただけで終わったので、なんつーかここぞとばかりに蹴ってもいいんじゃないの…と思いました。浜、中之上、どう思いますか。大日で元気にしているのか?中之上くんのために小島聡が来たりしたよな。なんだったんだあれは。

シングルマッチ 30分1本勝負
羆嵐 vs 岡林裕二(大日本プロレス)

f:id:nerilow:20200316132852j:plain

おかばやしはいつどこで見てもおかばやしで素晴らしいですよね。
熊くんもパワーで全然負けていなくてよかったと思います。

 

WRESTLE-1タッグチャンピオンシップ 60分1本勝負
【第19代王者組】芦野祥太郎児玉裕輔 vs 【挑戦者組】稲葉大樹土肥孝司

f:id:nerilow:20200316131717j:plain
試合としてはこの試合が一番面白かった…のかなあ。
ただあんまりどこで感情が乗っているのかよくわからなくて…それは私の席がC席だからなのか、W-1に思い入れが無いからなのかはわかりませんが、ただ彼らがいろいろできるんだなーということはよく伝わりました。
でも芦野くんがコーナーから場外へ児玉くんをロケット式に投げたところとか、反動でなぜか芦野くんが一番ダメージ受けてなかなかリングに戻れなかったり、団体最後のビッグマッチで観るにはウッカリおもしろスポットになっちゃったのが…。
あと最後の方で稲葉くんが児玉くんに仕掛ける→逃げられる→土肥くんが入ってきて合体技→再チャレンジ→逃げられる→土肥くんが入ってきて合体技というループがくるくるして、土肥くんが便利というか、稲葉くんが若干省エネ気味というか、そんな印象もありました。なんかこう、多分私が想像していたのは、最後のビッグマッチでW-1の現在進行形を務める4選手が力を出し切った~というものだった気がするんですが、そういう感じとはちょっと違った気がしました(思い入れがないのですごく曖昧)。

 

WRESTLE-1チャンピオンシップ 60分1本勝負
【第16代王者】中嶋勝彦(プロレスリング・ノア) vs 【挑戦者】カズ・ハヤシ

f:id:nerilow:20200316131718j:plain

まあ、こうなるしかないなあという試合だったので、特に書くこともないんですが。
勝彦がマスクをしてきたり、観客からもらったマスク(仕込んでたな!)を差し入れしたり、小技を挟みつつもとにかくハヤシさんのケガをしている左足を痛めつけまくるヒールムーブに徹しに徹し、観客からおおいにヒートを買ったので、ハヤシさんがちょっと反撃を返すだけで大歓声という、本当にヒールとして素晴らしいお仕事をされていたな…という感じでした。今の中嶋勝彦以外では、なかなかこういうポジションをうまくこなすことはできなかったと思う。
ハヤシさんも本当に、あの脚のコンディションでよく頑張ったな~という感じですね。
いや本当にそれ以上のことが無いんだよな~。
NOAHでの試合に比べれば、明らかに勝彦のキックの手数は少なかったですし…。いつもあの座らせて前後からボッコボッコ蹴るやつ、あの3倍はやってるじゃん。
もうほんとヒールモードの良さを買われてのお仕事で、最大限素晴らしい仕事をしたね!という以上のことはないので…勝彦ファン、言うて最近敗戦を見ることが多い気がしますが…あまりお気を落とさず…という感じです。

 

f:id:nerilow:20200316131719j:plain

そして最後のハヤシさんのマイクに応えて上がった選手がやたら少なかったんだけど、なんだったんでしょうか。みんな売店に行ってたとか?謎だ。

 

 

 

【追記】あまりにも投げっぱなしなので少しオチ的なことを書き加えに来ました。

この感想を読んで、W-1に熱心に通っていた方とかは、あまりにも分裂の恨みを7年越しでおっ被せすぎでは…と思うのではないかとちょっと申し訳なくなったのですが、でも今回も、それにこれまで何回か観に行ったビッグマッチも、ずっと私の旗揚げ戦の印象からブレてないんです。
途中デビューした子たちは、分裂とは関係ないじゃん、旗揚げとも関係ないじゃんとも思われそうですが、やっぱり団体のベクトルというか、思想というものはあって、みんなそれを目指して来た子たちばかりですし、よそから来ても染まるものですし、一貫して「武藤全日本」の思想は堅持され続けてきたと思いますので、別に関係なくないんですよ。

旗揚げ戦のリッチな面子から察せられるように、この夢は、お金がいっぱい無ければ見られない、共有もできない夢でした。「いっぱい」というのがミソで、普通にあるだけじゃダメだったんです。で、貯金がどんどん無くなった結果、どんどん勢いも萎んでしまった。
どこかで夢から覚めても良かったはずなんですが、なんだかずっと逃げられず囚われてしまっていましたね、というのが、私のW-1に対する印象であり総評になります。

 


あと通して読むとすげーアメプロの悪口書いてるっぽい風ですが、アメリカンプロレス、というか武藤が影響を最も受けているであろう90年代のWCWWWF(当時)は特にそうですが、ジャンクフードから五つ星メニューまで並んでる愉快な高級レストランみたいなものだと私は思ってます。シェフ(ビンスだったりハンターだったり)のオススメを、とっても素敵なお店で、しかも豪華演出つきでテンポよくストレスなく食べさせてくれるの。ジャンクフードだって見せ方によっては輝くものです。夢の国のポップコーンには高額払う価値があるでしょう。
逆に言えば、演出がなかったら、ジャンクフードはジャンクフードでしかない。
別にジャンクフードだっていいんですけど、そのまま五つ星メニューと並んで高級店で出てきたら、いやそりゃちょっと違うんじゃないのかなという話になるでしょう。
そして演出にはお金がかかります。
私はやっぱり派手なパイロの演出が毎回あった頃のWWEを見てきたので、アホな曲でアホなことしながら出てきても、火薬をふんだんに使った火花の滝が流れれば心躍りますし、それでこそスーパースターと思えるわけです。
スーパースターは選ばれし者なんです(それがバックステージ政治によって選別された者であろうとも)。夢の国の登場人物になるのは大変なんだよ。

あれだけビンス・マクマホンに嫌われていて、今年も殿堂入りできなかったクリスチャンが、シングル路線の初期すごいパイロだったのなんだったんでしょうね。
後年ランディ・オートンが使うようになるのと同じパイロだったんですよ。
こないだ解説に来た時謎に「バックステージブッダ」と紹介されていたことからわかるように、多分同僚、スタッフ受けはめちゃくちゃ良かったし今も最高なんだろうなー。試合も面白くてどんな役でもこなすし、2005年にはTシャツが一番売れたときだってあったんですよ。
まあそんな人でもビンスとハンターに受けなければどうにもならんのですが。

至上の愛、に纏わるいくつかの断片

「試合をしている時は、いつでも、誰との試合でも、愛を感じます」

f:id:nerilow:20191210223248p:plain

潮﨑豪がそんな話をしたのは、2019年10月29日に行われた「プロレスリング・ノア写真展 PHOTO THE LIVE! encore+」の中で行われたトークショー「潮﨑と宮木」でのことだった。

来場者が書いた匿名質問に答えるというコーナーで、質問は「最近愛を感じた瞬間は?」というものだった。プロレスラーにかける質問としては珍妙な部類に入るが、質問者は恐らく、最近とみにタッグ愛を強調している潮﨑と中嶋勝彦のユニットAXIZに関連する答えを期待していたのではないかと思われる。

「試合をしている時は、いつでも、誰との試合でも、愛を感じます。だって愛が無かったら、相手の攻撃を正面から受けることも、相手を全力で攻撃することもできません。愛があればこそ、なんです」

詳細なメモを取っていなかったので、このエントリ内のカギカッコは記憶をべースにした要旨になるが、潮﨑は上記のような回答を、質問を聞いてからほぼ間を開けずに言い切った。ここで語られている「愛」をもう少し一般的でわかりやすい言葉にすれば「信頼」だろう。

続けて、彼が特別に激しい試合をしてきた相手である杉浦貴に関してはこんなことも言っていた。

「他の選手との試合と見比べたりするんですけど、杉浦貴、俺の時だけ特にエルボーきついですよね?」

これもまた上記の理論で言えば、杉浦の「特別な愛」ゆえであるということだ。そしてその「特別」なエルボーを受けるのも愛ゆえなのだと。ウェルターズオリジナルのCMフレーズのようだがキャンディではなくエルボーの話である。

「だから、清宮と拳王もね。拳王がああいう攻撃をしたのも、愛があるから……だと思います。清宮を信じているからこそ、ああいう厳しい攻撃をした。清宮は大丈夫ですよ。拳王の思いに答えて必ず立ち上がってくるでしょう」

このトークショーから遡ること1週間前、10.22浜松大会メインイベントの6人タッグで、拳王は清宮が稲村をタイガースープレックスホールドで投げたそのブリッジの腹にダイビングフットスタンプを敢行。首で姿勢を支えていた清宮は大ダメージを負い、担架送りとなっていた。年間最大のビッグマッチ、11.2両国大会でメインを争う二人の、最後の前哨戦で起きた事件は、ファンの間でも賛否両論分かれる…というより否の反応の方が多く、拳王は強い批判に晒される事態となっていた。
潮﨑はこの試合で中嶋と共に、清宮のトリオのパートナーとしてリングにいた。すぐ傍で担架で運ばれる清宮を見てのコメントである。清宮は必ず立つ。当事者間にしかわからないものがあり、当事者間では納得ずくなのだ。だからみんな不安だろうけど、信じて見守ってほしい。そんな言葉の後に、潮﨑はこう言った。

「三沢さんが言っていました。試合でケガをするのは、技を受けた方の責任だと。もし……清宮がこのまま………………ダメになってしまったとしても、それはあいつの責任なんです」

あいつの責任。なぜこのイベントの話を冒頭から書き連ねているのかと言われれば、この発言に辿りつきたかったからだ。ケガは受け手の責任。それは愛の話の流れで言えばつまり、愛に応えられなかった、愛に値する自分を用意できなかった側の責任ということだ。

試合中のケガは、プロレスにつきものだ。だがこれを完全に「受け手の責任」とするのは、実のところ現代のプロレス界ではやや珍しい意見であるように思われる。元週刊ゴング編集長小佐野景浩氏によれば、かつてジャイアント馬場は「ケガをする奴は二流、ケガをさせる奴は三流だ」と語ったという。一流はケガをさせないし、ケガもしないという前提の上での言葉だ。これはどの年代の発言なのか、私の手元にソースはない。70年代、80年代、90年代でそれぞれ全日本プロレスの試合の方向性は異なっているため、発言年代によってそのニュアンスは変わるだろう。
小佐野氏はDropKickでの連載コラムのうちのひとつ「多発するプロレスラーのケガを考える」の回で、この発言の引用した上で「馬場さんはアメリカでビジネスとしてのプロレスを学んできたから、ケガをさせたら相手の生活が壊れちゃうことの重大さがわかってる」と指摘している。*1

個人の狭い観測範囲ではあるが、確かにアメリカンプロレスにおいても、基本的には「かけ手の技量の問題」とされていることが多いように認識している。トリプルHがペディグリーのクラッチを相手によって変えるのは有名な話だ。相手の技量を測り、技の強弱を調整できてこそ「試合巧者」であるという観念が通底している世界であるためか、受け手の責任が問われている場面は寡聞にして存じ上げない。

ジャイアント馬場の考え方に影響を与えたアメリカンプロレスの基本的なビジネス哲学は、テリトリー制時代に発展したものだろう。かつて全日本プロレスも加盟していたNWAは、全米のプロモーター達の共同体だ。NWAの王者となったレスラーは、各地のプロモーターが主宰する興行で、その土地のトップ選手と戦うサーキットに出る。王者はその土地のヒーローであるトップ選手と「良い試合」を行わなくてはならない。おらが街のヒーローが、もしやチャンプに勝つのでは? と観客がワクワク期待するような「魅せる試合」だ。それには圧倒的な技量が必要である。相手をケガさせてはいけないし、自分もケガをすることは絶対にできない。王者は全米規模のビジネスを回している。やみくもに明日なき試合をするわけには当然、いかないのだ。

またもう一つ、アメリカンスタイルに関して推測を加えるとすれば、アメリカ・カナダには団体内において新弟子をイチから育てる「入門制度」「寮(合宿所)」が、基本的に存在していないことに起因するところが大きいのではないだろうか。AWAにおいて70年に後から開設され、幾人もの名レスラーを輩出したガニア・キャンプなどの例外を除いて、アメリカ・カナダの新人育成は団体外に独立して存在するジムや養成所で行われる。これらは月謝を払って通う職業訓練校に近いものであり、雑用をこなすことで給料をもらいながら、住み込みで下積みを行う日本のそれとは大きく形式が異なる。

83年にNWAから離脱し、ニューヨークを拠点に発展を遂げ、ついに全世界№1の規模を誇るに至ったWWF……現代の「プロレス観」において最大のヘゲモニーを持つ現WWEにおいても同様に、「入門制度」は存在しない。スーパースター達はスカウトによって集められている。ただ、団体のシステムや気風にアジャストさせるための一定の「訓練期間」は設けられており、例えばアティテュード期にはドリー・ファンクの道場にスカウトされた候補者を送りこんだりもしていたし、一時期のOVWなどの契約下にあるファーム団体で一旦デビューさせるなどということは行っている。現在のNXTもかなりこれに近いだろう。だが、いずれにしてもすでにある程度の実績を持った選手を集めたものであり、「新弟子」をイチから、というものではない。*2。もちろん、出会って後に次第に仲良くなり……という関係性はいくらも存在するものの、その膨大な競技人口もあって、基本的にそれぞれに経験を積んできたプロフェッショナルな他人同士が邂逅し続けるのがアメリカンプロレスだ。ただ、ビジネス哲学とリスペクトだけが、彼らの明日を保証している。

 

一方、日本の団体には、ほぼすべての団体に「入門制度」「寮」がある。相撲の部屋制度を日本プロレスが引き継いだからだ。この制度の絶対的なアドバンテージは、間違いなく相互理解の高さと言えるだろう。寝食を共にし、下働きとして朝から晩まで駆けずり回り、同じ道場で同じ練習メニューをこなしデビューした「同期」に至っては、相手が何が得意で何が弱点なのか、どんな性格でどういう癖があるのか、嫌でも把握する。
ただ、海外のスター選手を大量招聘し、外国人選手対所属の日本人選手という図式を長らく続けてきた80年代までの全日本プロレスにおいては、試合においてその「同じ釜の飯」効果が最高のレベルで発揮されたとは言えないだろう。全日本における日本人トップ同士の試合の先駆けである長州対鶴龍も、鶴田対天龍も、ジャンボ鶴田以外団体の「新弟子からの生え抜き」とは言い難い以上、除外される。「同じ釜の飯」効果が100%発揮されるには、90年代を待たねばならなかった。つまり、四天王プロレスの萌芽とその最盛期である。

さて、ここに至ってようやく本題に辿りついた。
潮﨑の…というより三沢光晴の「受け手の責任」発言である。
三沢は一体どのような心境で、そんなことを潮﨑に言ったのだろうか。
理解の補助線としてあげられるのは、三沢と同じく四天王の一人である小橋建太が、四天王プロレスこそ危険技をエスカレートさせた元凶である、というような批判に回答する形で主張した「自分たちは同じ釜の飯を食い、同じ道場でずっと一緒に練習を続けてきた。お互いの受け身を始めとした技量に対する圧倒的な理解と信頼があればこそ、激しい試合を行うことができたのだ」という旨の反論だろう。
これは逆に言えば、お互いの腹を知らない他人同士では、危険な試合はできない、すべきではない、ということだ。
つまり「かけ手の責任」を重く見るジャイアント馬場全日本プロレスに在りながら、三沢が「受け手の責任」という観念に辿りついたのは、お互いへの圧倒的信頼に支えられたこの環境……新弟子からの「生え抜き」で「ほぼ同期」の4人が、近しい立場で何度も何度もやりあい続けられる環境あってのことである、と推測できる。*3
97年1月、三冠ヘビー級王者として挑戦者三沢光晴を迎え撃つことになった小橋建太は、母親に「もし俺に何かあっても、決して三沢さんを恨まないでくれ」という電話をしたという。
何かあっても……という言葉の先に浮かぶのは「死」の一文字だ。
この試合は一線を超える必要があった、と小橋は言う。
一線を、死を超越するものはお互いへの深い深い理解と信頼……すなわち潮﨑の世界観に即して言葉を選べば、「愛」なのだ。

極限に高めた心技体、その上にある深い相互理解と信頼。
愛しているがゆえに全力の技を出し、愛しているがゆえに全力の技を受ける。
恐らく、これこそが四天王プロレスの本質的テーゼのひとつであった(少なくとも、三沢と小橋の間ではそうだっただろう)。
そしてそのテーゼは三沢光晴が旗揚げした団体、プロレスリングNOAHに受け継がれる。
ゆえにこそ、NOAHの所属選手はこのテーゼ…命題を共有している。しなくてはならない。そしてこの命題を核に作られた団体においてそれはもはや、「同じ釜の飯を食った」生え抜きだけの共有に留まらない。例え途中参加の選手であっても同様でなくてはならない。例えば齋藤彰俊であり、拳王であり、それぞれに出自を持った選手であるが、彼らもまた命題の共有者だ。

三沢が最後に受けた技……齋藤彰俊の美しいバックドロップは、それこそ三沢光晴が百万回も受けてきたであろう正確無比なバックドロップだった。齋藤彰俊に咎はない。齋藤彰俊三沢光晴を「愛して」いたからこそ、いつも通りのバックドロップを敢行した。

清宮海斗が首の負傷により担架で運ばれたという一報を目にしたプロレスファン、特にNOAHファンは、恐らく一様に三沢光晴を思い出しただろう。やりすぎだ。三沢を想起したファンの多くがそう思ったことは間違いない。2019年のプロレスファンの多くが、プロレスラーのケガに際し、「受け手の責任」ではなく「かけ手の責任」ないし「やりすぎ」を責めるのは、三沢光晴の死を通過しているということが大きいだろう。
だが、2009.6.13広島大会で、まさにそのリングにいた"三沢光晴最後のパートナー"潮﨑豪は、そうは思わなかったのだ。
そして多分、三沢本人もそう思わない。
責任は誰にあるのか。
それは、愛に応えられなかった受け手である、と。*4

この世界観においては、ただ愛だけが明日を保証する。しかしその愛は、無条件の愛ではない。愛するため、愛されるために己自身の価値を高め、維持し続けなくては破綻する、残酷な側面を持った愛だ。
2019年7月3日にタイトーステーション溝の口店/MEGARAGEで行われたYoutube配信番組「コテアニのなんか来た!」にAXIZとしてゲスト出演した潮﨑は、「一生プロレスがしたいか?」という質問に関して次のような発言をしている。
「思ったような動きができなくなった姿は見せたくないですね。引退試合もしたくないです。動けなくなったらある日こう……ドロンって。カード発表されて、あれ、潮﨑の名前が無いなって」「俺はいつの間にかいなくなっていると思うんで」
要するに、失踪すると言っているのだ。口調自体はいつものおちゃらけたものではあったが、その場で思いついて気軽に言うような内容ではない。*5横で聞いていた中嶋勝彦が「それはダメでしょ」「そうなったら俺が引っ張り出します」とツッコミながら、レスラーがそういった「ダメになる前にリングを下りたい」という心境に至る理由を丁寧に補足説明していたのが印象深い。明らかにあれは急に怖いことを言い始めた相方への「フォロー」だった。
愛される価値を維持できなくなった者は、愛に値せぬ者は、消えなくてはならない。何故なら、その先に待っているのは――……。

大回りをしたが、トークショーの話に戻ろう。このトークショーで語られた言葉から読み取れるのは、潮﨑が今、AXIZとしてパートナーや試合相手を対象に語る「愛」とは、そういった種類の愛であるということだ。キャリア15年目、自分のプロレスを成立させているのは「愛」だ、と彼は気付いた。死を超越し、永遠に至るものは愛だけだ。
Twitterの文字列として見る「愛を感じて欲しい」などといった言葉には、どこか軽い雰囲気があるゆえに「浮ついている」と思う人もまあまあいるだろう。だがこのトークショーを踏まえる限り、彼の「愛」の根底にあるのは浮つきとは無縁の、壮絶なものであると私は言い添えたい。*6

そして……また同時にこの話は、潮﨑豪が今まで語ることの無かった、三沢光晴の死に対する「折り合い」の話でもあるだろう。
私の知る限り、これまで彼は正面からこのこと……三沢の死に纏わる事柄について、ファンの前で語ったことはなかった。
2009~2012年のNOAH時代は、三沢の49日を過ぎてから行った齋藤彰俊との王座戦以降、6.13の出来事に関して殊更に言及することは、少なくとも表向きには無かった。
NOAHの生え抜きであるということを極力出さないように努めていた全日本時代は当然のように皆無である。例外的に2015年6月に発売された長谷川晶一『2009年6月13日からの三沢光晴』のインタビューで、かなり詳細に当日の出来事を語っているが、「どう思っているのか」という点に関しては特に言葉を費やしてはいなかった。
フリー時代、サムライTVの番組「バトルメン」に出演した時に、これまで経歴をまとめたVTRの後、6.14の博多スターレーンでの王座戦の心境について質問されたが、その答えは「全員が一睡もしていなかった。誰もケガをしなくてよかった」というものだった。

今、潮﨑がこうしてようやく三沢光晴の言葉を語れるようになったというのは、彼の中でひとつの覚悟が決まったという証ではないだろうか。それには10年の歳月を必要とした。今も十字架を背負う齋藤彰俊と同様に、潮﨑豪にも悔恨はあるだろう。タッグパートナーとして、「あの時、交代しなければ」「自分が代わりに受けていれば」そんなことを考えなかったわけがない。だがそれは言葉にしても詮無いことだ。
「人生たらればなし」
これも三沢光晴の好んで使った言葉だ。

2020年、「愛」を胸に闘う潮﨑豪の躍進を大いに期待したい。*7

 

「煙草の自販機の隣にある自販機に、クリームソーダが売られていた。それを買ってもらうために、煙草を買いに行く親父に付いて行ったのを覚えている」

f:id:nerilow:20191210223741p:plain

内省と心の整理、そして覚悟と言えば、潮﨑のタッグパートナー、中嶋勝彦も同様だ。ここ最近彼は「父親」に関して、言葉で語ることが増えたように思う(残念ながら私は過去の彼の言動を、潮﨑のものほどには追っていないので断言は全くできないが)。
上記の言葉は、2018年11月1日に行われたセイシュン・ダーツ青木泰寛主宰のトークショーにゲストで呼ばれた時のものだ。「最初の記憶は?」という質問に答えてのものである。3歳ごろの話だと言っていた。

微笑ましい子供時代の記憶だが、プロレス格闘技DX掲載の日記「勝日記」2019年11月29日更新分と合わせて読むと、全く印象は変わってくる。
有料コンテンツゆえ引用は避けるが、中嶋は5歳ごろ、このクリームソーダを買ってもらった実の父に捨てられた。*8取り残された母子家庭は貧困に苦しみ、彼は一刻も早く自らの力で稼ぐべく、15歳で格闘技・プロレスの世界へと入る。そこで「育ての父」佐々木健介に出会うが、やがて彼にもまた不意の引退という形で捨てられた。*9
拠り所となるはずだった父の愛の、二度に及ぶ喪失。だがその代わりに見出したのはリング上で感じる「愛」だったという話だった。ファンからの「愛」、信頼するパートナー、尊敬できる好敵手への「愛」。

ここに多く言葉を付け足す必要はない。
いくつかの断片的なエピソードを聞いた上で感じる佐々木健介中嶋勝彦の関係性は、まさしく父子であると同時に、明らかに社会通念上、未成年者への接し方として一線を超えているものがある……と思わざるを得なかった。中嶋は入門前から負けず嫌いで反骨気質があり、WJの中で出会った大人達の中で佐々木健介を選んだのは「一番練習が厳しかったから、一番間違いないだろうと思った」という、壮絶にストイックな理由であるほど個を確立した子供であったが、とはいえ、未成年者である。理不尽に耐え忍ぶため、この「父」の考え方に自分を同調させ、我を殺したところはなかったか。

弟子入りを希望して佐々木家に電話をした時、北斗晶に「茶髪だと(ファンの)おばちゃん達に嫌われるよ」と言われた彼は髪を黒くし、以来長年、純朴な「息子」、正統派ベビーフェイスとして闘い続けてきた。
そんな彼の突然のキャラクターチェンジは、2018年の春である。GTLの最中だ。私が最初に「あれ?」と思ったのは、4.9横浜ラジアント大会で、杉浦へのタッチを求める拳王を捕まえて、杉浦に向かって拳王の手をヒラヒラさせるというヒール的な挑発をしていた時だ。次第にそのヒールムーブは加速し、相手の気をそぐためのエスケープ、打撃合戦では相手の攻撃を嘲笑いながら避け、自分のキックだけは的確に入れるなど、バリエーションはどんどん増えていった。
この変化に多くのファンは驚いたようだったが、個人的感想としては「ついに素が出た」という感じだ。もともと、ベビーフェイス時代も、トークショーなどでたまに容赦なく厳しい発言をポロリとこぼしている側面はあった(大体「恰好だけで実が伴ってないヤツ」に対してめちゃくちゃキツい)。ただ優しく爽やかな青年というわけではないのだ、実際。
そして何より、この変化は過去からの解放でもあるだろう。自分で考えた方向性を初めて形にしたのだ。その姿は自由を得た喜びと充実に満ちて、輝いている。

 

「試合を通じて、会話したように思います」

f:id:nerilow:20191211234309p:plain

2年前、2017.3.12横浜文体で行われたGHC王座戦、王者として挑戦者潮﨑豪を迎え撃つこととなった中嶋勝彦は、同期デビューの潮﨑のことは13年前から意識していた、と述べつつも「今はライバル意識はない。今はない!」と「今」を強調しつつ思い入れを否定した。この当時、2015年11月にNOAH再参戦して以降、潮﨑は今一度信頼を再び得るため、愚直なまでにただひたむきに、己の色を殺して「優等生」として振る舞い続けてきていた。2016年6月13日に再入団を果たしてからも、そのキャラクターを変えることは無く、かつての明るい側面はなりを潜めていた。その大人しさを指摘した中嶋は「俺が目を覚まさせる」とも言った。

実際この試合は、もちろん悪い試合ではなかったが、二人のポテンシャルから考えれば、もう少し先があるのではないか、というような試合だった。潮﨑は敗れた後もしばらく優等生のままであったし、それは中嶋も同様だった。何故なら、これは静かな始まりだったからだ。試合後にマイクを手に取った中嶋は、ふと何かに気付いたような様子で「潮﨑、ありがとう」と声をかけた。
「潮﨑豪にはありがとうと、すみません。“覚悟が違う”って言ったことがありますけど、潮﨑の覚悟は十分にありました。だから、潮﨑、すみません」
二人のシングルはこの横浜文体までに3度あり、二勝一分で潮﨑が勝ち越している。だがこれらはいずれも、中嶋勝彦がヘビー級を主戦場とする前の、ジュニアヘビー級時代の試合だ。中嶋がヘビー級(本人曰く、体重はジュニアなので無差別級)に転向したのは2013年からだ。潮﨑がNOAHを退団したのは2012年12月末。潮﨑はヘビー級の中嶋勝彦を知らない。一対一ではこの日、初めて遭遇した。
中嶋は中嶋で、潮﨑のNOAHにおける空白の3年間、全日本プロレス時代のことを知らない。なにゆえ生まれ故郷を捨て、なにゆえ再び帰ってきたのか。放蕩息子の帰還。彼の変化の理由は語られない。3年の間に得たものは。失ったものは。
だが、それらを言葉で語る必要はなかった。バックステージでのインタビューで、中嶋は次のように語っている。
「今日の試合から潮﨑豪の気持ちは伝わったんで。試合を通じて潮﨑選手と会話したように思います」
同じ2004年デビュー、偉大な師匠の下で育ち、お互いを常に意識していた二人は、この日のシングルで出会い直し、リング上で腹を割って語り合い、そしてお互いに連なる縁を改めて見出した。
「俺たちはまだ美味しくないから。今日の試合をキッカケに、美味しくなると思います」

 

「すべて受け止めてくれて、ありがとう」

f:id:nerilow:20191210222949p:plain

 そして2019.12.3、15周年特別記念試合でのスペシャシングルマッチに至る。
15年分の思いと覚悟を乗せた試合は、お互いのキャリア屈指の激戦となった。潮﨑ファン、中嶋ファン、どちらに尋ねても、この試合をベストバウトとして挙げる者は多いだろう。

お互いが得意としている逆水平チョップとキックの猛打戦に留まらず、エプロンへの投げ落としや徹底した右手破壊など、エグい攻防でお互いの勝負への執念、怖さがしっかり出ていたのも良かった。
20分経過後のゴーフラッシャー、そこからの流れが白眉だった。
続く豪腕ラリアットを的確なハイキックですべて右腕に当てて阻止、リバースフランケンシュタイナーからの三角蹴りはキャッチされたが、その体勢を利用して一旦着地してから中嶋が出したのはカナディアンデストロイヤー。カナダ人レスラーピーティー・ウィリアムズが開発した難度Sの360度回転パイルドライバーである。中嶋がこの技を出したのは、GHC王者時代切っての死闘となったブライアン・ケイジ戦以来だ。あの時はこの技がすべての流れを変えた。
しかし潮﨑はこれを受けても倒れなかった。前後からのサッカーボールキック、ランニングロー、そして満を持してのヴァーティカルスパイク。
冒頭に書いた「特別にエグい杉浦貴のエルボー」の話に被るが、急角度、猛スピードの「特別にエグいヴァーティカルスパイク」だった。
決まったかと思われた瞬間、潮﨑はキックアウト。立ち上がって中嶋のハイキックを避けるや、次に出したのはスリーパースープレックスだった。
スリーパースープレックス! 師匠・小橋建太がビッグマッチでここぞという時に使った奥の手である。こういう時に普段使っていない師の技がスッと出てくるのが潮﨑だ。
畳み掛けるように豪腕ラリアット、しかし2発目のショートレンジは読まれていた。勢いを利用して抱え上げると、中嶋が久しぶりに出したのはダイヤモンドボム。
ダイヤモンドボムは、2014.7.21博多大会で丸藤の持つGHC王座に挑戦するに際し、開発した新技だった。師匠であり育ての親でもある佐々木健介の得意技ノーザンライトボムをアレンジした形の投げ技。初公開は前哨戦の7.18新発田大会。丸藤からこの技でスリーカウントを奪っている。技の命名由来は「DIAMOND RINGを代表しているから」だ。この年、2014年の2月11日に中嶋に敗れた佐々木健介が突然の引退を発表。3月9日の道場マッチを区切りに、所属3人のうち北宮はNOAHに正式移籍、梶は引退。ただ中嶋勝彦ひとりが所属として残っている状態だった。この新技を発表する5カ月前には、上述の通り「育ての親に捨てられた」という心境に陥っていたという中嶋は、いかなる思いを込めてこの技名を付けたのか。だがその後、2015年7月31日付でDRを退団して以降は、当然のなりゆきとしてこの技も封印状態にあった。*10その封印が解かれたということは、過去からの解放であると同時に、己の過去を捉え直し、受け止めたという証左でもあるだろう。
これを受けて四つん這い状態となった潮﨑の顔面を目掛け、追撃のサッカーボールキック。丸藤の言う「ひとでなしキック」だ。これで幾人もの選手からKOを奪っている。
ふらつきながらも立ち上がった潮﨑に、容赦なく左右のビンタを叩きこむ。ここで崩れたらもう終わりだ、というその瞬間、潮﨑の体がスッと下がって回転した。渾身のローリングエルボー。言わずと知れた、いま一人の師である三沢光晴の代名詞とも言える技だ。今年の6.9後楽園ホール大会、三沢メモリアルで丸藤を相手に出した“原型”エメラルドフロウジョンはまだ記憶に新しいが、潮﨑は三沢の技も(小橋の技同様に)引き出しに入れている。*11というか、ローリングエルボーに関して言えば、ヘビー級選手の中では屈指の使い手だろう。この一撃が流れを変えた。
よろめいた中嶋だったが気力で体勢を立て直し、25分過ぎに再び中盤よりも激しいチョップとキックの打撃戦。だがローリングエルボーの余勢で圧倒した潮﨑が、すかさず第2の必殺技リミットブレイクを敢行。ここでほぼ勝敗は決した。続く豪腕ラリアット3連発、しかしなおも立ち上がる中嶋を見た潮﨑は、意を決してコーナーへと上がった。
天高く弧を描いて宙を舞う、183cm、110kgの完璧なムーンサルトプレス*12
29分30秒、死闘に終止符が打たれた。
2年前の文体での王座戦ではまだ予兆を感じさせるに過ぎなかった、二人が持てる引き出し、持てるすべての力をぶつけ合い、互いのすべてを受け止め、試合の中でさらに高め合っていくような凄まじい試合だった。スウィング、共鳴する試合という言い方もあるが、ここまでのスウィングが起きる組み合わせは、過去のベストバウトを参照してもそう無いだろう、というレベルだった。しかも、ノンタイトルの記念試合なのである。
2年前から何が変わったかと問われれば、それはやはり対戦経験を積んだこと以上に、二人が組んだことが大きかったのだろう。
お互いをより深く理解し、より強く「愛した」こと。また15周年の区切りを迎え、二人が共にそれぞれの過去を捉え直したこと。
この12.3後楽園ホール大会15周年記念試合は、二人のキャリアの最後まで、そしてその後も語り継がれる一戦となるはずだ。
この先何が起こるかなんて、神ならぬ人の身には何もわからない。
だがすでに起きた出来事――過去の一瞬一瞬は不変だ。

愛はすべてを超越し、永遠へと至る。

 

途中のアメプロの話が無駄に長すぎて謎な文章になってますが、割とこう、整理はしたものの普段の思考を取って出ししたような内容です。こんなことを考えて生きています。観念連合野が無駄に働きすぎている気もする。
潮﨑がTwitterでこの試合に際し、「至上の愛」という形容を使ったので、コルトレーンのA Love Supremeやんけ……となってなんかこう……一文書いておこう……となっておりました。なんですかね。でもほんといい試合だった(語彙削減)。

 

そして1.4後楽園ホールでは、ついに現王者であり、前タッグパートナー清宮海斗への挑戦が決まったのです。この1年ずっと待ってたよ……。
ヘビー級生え抜きというだけでなく、三沢を知らずして三沢へ傾倒したスタイルの清宮。まるで潮﨑が三沢と組んだ2009年のGTLをなぞるような形で、2018年のGTLを制したタッグパートナー。

2009年6月13日の三沢逝去から約半年後の11月18日に発売された週刊プロレス1500号記念号で、潮﨑はNOAHのGHC王者として、当時の全日本プロレス三冠王者小島聡新日本プロレスIWGP王者棚橋弘至と鼎談を行った。
この時、司会者(タナ番の記者)が「潮﨑選手も初戴冠では泣きましたか?」というちょっと信じがたい質問をしている。
潮﨑の初戴冠は6.14博多スターレーン大会、三沢逝去の翌日だ。同じく13日に起きた、当時のGHC王者秋山準椎間板ヘルニアによる緊急入院を受けて急遽組まれた王座戦である。泣きながらアップをしていたのを見た杉浦貴に「泣くのは終わってからにしろ」と言われた潮﨑は、その言葉通り、力皇猛相手の激戦に勝利をおさめた後、バックステージで泣きじゃくりながらの会見をした。そのことを知らずとも、「三沢逝去の翌日」ということを認識していれば、まずこんな質問は出ないだろう。恐らく、腐っても週プロの記者、認識はあっただろうが、実際に目の前にした潮﨑の天性の明るさ、無邪気さから、それが頭からうっかり抜けてしまったのだと思う。
この時、この記者が一瞬浮かべていたであろう、「初戴冠で泣く潮﨑の図」を想像するに、「デビュー以来師匠の元で努力を重ね、海外遠征などを経て実力をつけ、苦労が報われる形でようやく最高王座を手にした若き王者。感動で思わず涙を浮かべる」というキラキラしたものだったのではないだろうか。

それはまさに、清宮海斗に他ならない。

潮﨑豪が、一切の影を背負うことなく、悲しみの涙に彩られることなく頂点へと昇り詰めていたら……。
清宮海斗はそう言った意味で、潮﨑にとってもう一人の自分のような存在である。
しかも、光の側の自分だ。
これに勝つのは彼がその15年の道程で積み上げた正負すべての経験と、そのすべての愛の重みによるしかないだろう。

今はただその愛を信じている。

 

 

 

小橋健太、熱狂の四天王プロレス

小橋健太、熱狂の四天王プロレス

 
2009年6月13日からの三沢光晴

2009年6月13日からの三沢光晴

 

*1:同じコラム内で永田裕志によれば山本小鉄は「ケガをする奴がダメなんだ」と語っていたという話も引用されている。これは「攻め」に重きを置く猪木的、新日本的な思想の現れであり、このエントリの本題である「愛(相互理解)」の問題ではないと思われる。同じく新日本でレフェリーとしても活躍した保永昇男は「プロレスは明日のある戦い」であるといい、受け身の取りにくい技を出した選手を指導したこともあったというが。

*2:例外として2004年に行われた新人オーディション番組「タフイナフ」があげられる(ザ・ミズがデビューした)。これに関しては、当時、自分たち自身で立ち上げたインディー団体「オメガ」からの叩き上げであるハーディーズの二人が「経験値が圧倒的に低いド素人」をリングにあげることに対し苛烈な批判をしていたことも付記しておくべきだろう(自伝『ザ・ハーディ・ボーイズ』参照)。

*3:ついでに言えば、三沢本人が元々「ガラスのエース」という不本意なあだ名を頂戴するほどケガが多かったというのもあるだろう。

*4:これは四天王プロレス及びNOAHにおいてのみ成立する論法だと私は思う。明らかに「かけ手が悪い」事例も、「やりすぎ」の事例もある。拳王と清宮の件の是非に関しても、私はなんとも言えない、という気持ちだ。ここに書いたのは、論法としてはそうなる、という話である。

*5:心構えのない客に突然聞かせる内容でもない。イベント現地におりましたが、ショックすぎて帰りの電車でボロボロ泣いておりました。

*6:それが言いたくてこのエントリを書きました。「本人そんなこと考えてへんやろ」というツッコミは承知の上で、例え本人が無意識だろうとも、そういう読み解きができるということ。

*7:ちなみにトークショーではこの回答の結びに「あれ? なんかみなさんリアクション取りにくい感じに…? ワ~!(両手を広げておどけるジェスチャー)」と無理やりカワイイポーズで話を切り替えていたことも書いておこう。そのあとは概ねカワイイ話をしていました。カワイイな~。頭が混乱します。

*8:という表現をしている。

*9:とこの当時は思った、と書いている。

*10:一応王座戦の類はざっと再確認したけど使ってないはず。

*11:若手時代の七番勝負では、三沢本人相手にウルトラタイガードロップを出したりしていた。

*12:潮﨑がムーンサルトで勝利したのは、全日本プロレス所属時代の2015.7.25の世界タッグ王座戦青木篤志相手以来である。この後、2018.8.18の川崎大会でも杉浦貴とのGHC王座戦で出してはいるが(入場曲がENFONCERに戻った試合だ)、これは剣山で撃墜されている。潮﨑は、2015年11月のNOAH再参戦以来、その前の全日本時代の3年間と比べて、時に新技を試しつつも、基本的には技を絞って厳選している様子があった。

その一瞬は永遠となる

f:id:nerilow:20191103162732j:plain

プロレスリング・ノアオフィシャルカメラマン宮木和佳子さんの写真展「プロレスリング・ノア写真展 PHOTO THE LIVE! encore+」に行ってきました。

渋谷勤務なのを良いことに、去年開催時も会社帰りにちょこちょこ寄っていたのですが、今年も同様に何度も通って入場特典の缶バッジをたくさん頂いてしまいました。

飾られている写真は、いくつか宣材用の写真やバックステージの風景などもありますが、ほぼ全てが試合の写真です。

ほとんどの団体が写真撮影OKのため、プロレスの会場にはカメラを持ったファンがたくさんいます。中にはかなりの高級機材を持って来るお客さんもいて、観戦の傍らライブアクションを撮る楽しみを満喫するという、二つの趣味を一つの現場で生かしている人も少なくありません。

そういったファンの写真と、宮木さんの写真の最大の違いは何かと言えば、当然といえば当然ですが「ロープが写っていない」「ありとあらゆる場所・角度から撮られている」という、リングサイドで駆け回れる公式カメラマンならではの自由な視点があるということでしょう。

ファンは席を動いてはいけないのでどうしても定点観測状態になるのですが、宮木さんは違います。
これはすごく優位なようで、少し考えれば無限に増えた選択肢の中からベストポジションを選択し続けるという、非常に難しい作業が加わってくることを意味しています。
そう考えた上で宮木さんの写真を見ると、何故ここまであらゆる瞬間に「正解」を出し続けているのかと驚愕するものがあります。

手持ちのスマホででも、試合の写真を撮ろうとしてみた人間ならば大体気付くと思われますが、動き続ける被写体を撮るには、「次の動き」をきちんと予測していなければいけません。技の予備動作から始まって、試合の組み立てや選手一人一人の癖や性格にいたるまで頭に叩き込まれていないとベストな瞬間を切り取ることは困難です。この一点を取っても、宮木さんがどれだけ深くNOAHの選手を理解し、把握しているのかわかります。そしてその理解は技などの表面上に見えるものに留まりません。

個人的なことを言うと、私はあまり写真芸術と接点が無く、これまで写真展と言ってもマン・レイのようなシュルレアリスムの技法としての写真のようなものくらいしか見て来なかったので、写真芸術というものに対して特に定見を持っていませんでした。
ただ私自身、趣味でちょっと似顔絵やファンアートなどを描いたりする人間なので、プロレスなどのライブアクション芸術を「止まった画」に落とし込むことについて上手く意義を見出せないというか、「やっぱり動いている本人、動いている映像には敵わないのでは」というようなことをちょくちょく思うことがありました。

でも宮木さんの写真を見て改めて思うのは、「止まった画」でしか表現できないものがあるということです。

数千数万と撮った写真の中で、何故この1枚が選ばれて飾られているのか?
そこに込められた意味は何なのか?
ディフォルメの技法が使える絵に比べれば、写真は作者の恣意性がどうしても低くなるかもしれません。しかしその「現実そのままの画」であるからこそ、その1枚が選ばれた意味の強度は跳ね上がります。
その瞬間、その角度、その光度、ピントの合っている場所、動いている場所。
一つ一つの選択に、宮木和佳子さんというカメラマンの作家性が生きています。

写真展の壁に飾られた、一枚一枚の画の中に込められたあまりにも鮮やかなエモーション。それはまさに彼らの「生」の一瞬を写し取り、その瞬間を写真の中で永遠に輝かせ続ける力を持つものなのです。

NOAHの選手はなぜか、「光を見せる」という表現を使う人が圧倒的に多いです(全日本は「風」ですね)。
団体テーマが方舟である以上、航海を照らし導くのは灯台や星の光ですので、必然的にそういうワーディングになるのでしょう。写真もまた光を写し取るものなので、なんとなくこういった作品集や展覧会があるのも縁という感じがします。

宮木さんの写真展で良いなーと思うのは、かっこいい技の写真だけでなく、倒れて起き上がろうと歯を食いしばっている選手や、敗れてリングをよろめきながら去る選手、死闘後も立派にマイクをこなしたであろう選手が、人の居ない廊下まで戻ってフラフラと壁にすがりながら帰る写真など、興行の影にある部分を掬い取っていることです。
プロレスはどうしたって一試合ごとに勝者と敗者が生まれる世界ですので、興行の半分は常にうつむき辛い思いをする人間によって支えられているのですが、その中にある美しさや輝きを我々観客はよく知っています。作品に生まれ変わったそれらと再び出会えるのは、本当にありがたいことだと思います。

去年も飾られていたのですが、潮崎選手が西永・福田両レフェリーに支えられて帰る写真が本当に素晴らしくて、いつでも自分の足で帰ることを旨としている彼は多分、この後二人の手を払ってよろめきながらバックステージに戻ったのだと思うのですが、そういった光景が鮮やかに脳裏に浮かぶ一枚でした。

来年もまた新しい作品が観られることを祈ります(お金貯めて買いたい写真もありますので…)。

馬場的、三沢的

ほとんど私信なのですが、あまりにも長いのでブログを使います。

 

note.mu

 

上記のnoteを読んで、友人といくつか解釈の分かれるところがありました。

ので、私が思うところをまとめておこうと思い立ったのですが、その成り立ち上、まず市瀬英俊『夜の虹を架ける』を読み、かつ上記のnoteを読み、しかる後ようやく意味が通るというものになっております。ブログで公開して書く意味あるのか…?
タイトルは手元にあった平岡正明の『志ん生的、文楽的』から。

 

夜の虹を架ける 四天王プロレス「リングに捧げた過剰な純真」

夜の虹を架ける 四天王プロレス「リングに捧げた過剰な純真」

 
志ん生的、文楽的 (講談社文庫)

志ん生的、文楽的 (講談社文庫)

 

 

 

◆long story short

上記の鹿島健氏のnoteで、「馬場プロレス」「三沢プロレス」というカテゴリが出てきます。
四天王で言えば、三沢は当然三沢プロレス、田上は馬場プロレス、小橋・川田は両方できるというような。
現役では、諏訪魔は馬場プロレス、潮崎は馬場プロレスとして突き抜けた才能を持ち、三沢プロレスにおいては高い水準でありながらもまあまあくらいというような。

で、友人は諏訪魔って馬場プロレスなのか? ということに疑問を抱いているようなのですが、私は少し切り口の違う観点ながら、諏訪魔は完璧な馬場プロレスの人であると思っておりますので、その辺を書きます。

 

◆定義

個々人の属性を云々する前に、前提となる「馬場プロレス/三沢プロレス」という分類について、定義を確かめる必要があるでしょう。
そもそもこの定義自体、三沢光晴が馬場門下である以上、いくつか「くっついて」いるところがあり、厳密な差異を論ずるにあたって感覚的にならざるを得ないところがあると思われるのですが、とりあえず今は論拠としている鹿島氏のnoteから該当箇所を抜き出してみます。

"馬場プロレスとは、何よりもまず、デカくて強いことこそを無上の価値とするプロレスである。そこから必然的に導かれるスタイルとして、一つ一つの技をさらに大きく見せるかけ方が追求され、試合の攻防そのものはわかりやすい単純化が志向される。
 一方、元々が二代目タイガーマスクとしてジュニアヘビー級の選手であった三沢は、体格やパワーを重視するプロレスに大きな価値を置くことはなかった。たとえ小型のレスラーであってもテクニックを備えている者は高い評価の対象となり、一つ一つの技はコンパクトな精確さが追求され、試合の攻防も複雑化が押し進められることになった。
(中略)
その後の三沢のキャリアを見ると、スタン・ハンセンやテリー・ゴディやスティーヴ・ウィリアムスやゲーリー・オブライトなどとの試合は必ずしも優れたものではなく、凡戦になってしまうことも結構な頻度であったのだ。
 デカくて強くてヤバい上に、強引に引きずり回すような試合をしてくる外人レスラーに食らいついて死闘を展開していたのは、川田であり小橋であるのだった。……そう、川田と小橋の二人だけは、本来なら正反対である馬場プロレスと三沢プロレスの両方を修得し、状況に応じて適切な方を選択するために、必要に応じて二つのスタイルを自由自在にスイッチすることができていたのである"

シンプルにまとめると、身体の「スーパーヘビー級志向/無差別あるいはジュニアヘビー級志向」、試合構成の「単純/複雑」、技の「大きく見せる/精確性」という対比がここで書かれていることがわかります。
馬場プロレスに対する表現の羅列から何が思い浮かぶかといえば、それははっきり言ってしまえばアメリカンプロレスです。
アメリカの広い会場でもはっきりわかるデカさ、見易さ、派手な技のかけ方は、現在に至るもアメリカンプロレスの礎石となる要素です。

勿論大元のアメリカンプロレスからローカライズを経ている以上、現出しているものは実際アメプロにはそこまで似ていないのですが、要素だけ抜き出すと、根を同じくしているものであるとは言えるでしょう。

この要素的類似性から導き出せるのは、つまりジャイアント馬場日本プロレスでのデビュー、そして海外時代、全日本プロレスの旗揚げ以降も含め、一貫として続けてきた「対外国人選手」の試合が基調になったものこそが、ここで定義づけされている「馬場プロレス」なのではないでしょうか。

「馬場/三沢」を分かつものは精神性や出自ではなく、スタイルなのです。

◆志向、教えられたもの、与えられた環境

諏訪魔に話を戻します。
上記の定義を踏まえて彼の要素を分解していくと、やはり諏訪魔は「馬場プロレス」の人で相違ないと私は思うのです。
まず、彼が崇拝し、スタイルやキャラクター性自体を志向している天龍源一郎は間違いなく「馬場プロレス」の人です。後年の激しさや容赦のない武骨なスタイルが浮かぶ向きかもしれませんが、彼の基調となっているのは4年間の海外修行時代、ファンクスによって教え込まれたNWA的正調アメリカンプロレスです。
(90年の日米レスリングサミットでのランディ・サベージ戦の完璧なアメプロっぷりはその結実の一つでしょう)
また諏訪魔に「プロレス」を教えたトレーナーは、カズ・ハヤシです。
ハヤシさんはメキシコ(みちのく)とアメリカ(WCW)をバックボーンとした選手。ジュニアヘビー級を育てるにあたってはメキシカンスタイルが伝授されていたことは、かつてのKAI、大和ヒロシなど元全日本出身者を見ればわかることですが、彼がヘビー級を育てるにあたって何を参考にしたかは不明です。
まあ少なくともメキシカンスタイル+アメリカンスタイルの複合的な思想に基づくトレーニングであったことはほぼ間違いないでしょう。ここでWCWの新人育成所パワープラントが念頭に置かれることがあったとすれば、かなり「それっぽい」流れだとは思いますが……。
WCWは発足こそNWAの流れを汲む正統アメリカンプロレスの団体…だったはずなのですが、NWA脱退後はアメプロの中に底流として存在し続けていたモンスターマッチ的な志向が煮詰まりに煮詰まった場所でもあります。
とはいえ、パワープラントでコーチを担当していたのは、ポール・オーンドーフやマイク・グラハムなどといった元NWAのレスラー達でした。
また諏訪魔は新人の時期を過ぎた頃あたりからは、渕正信に話を聞いたり、移動中に鶴龍時代の動画を見て自分から「馬場プロレス」の研究を進めていた事も知られています。

仕上げに、諏訪魔の世界観的指導者、プロデューサーとして登場するのは武藤敬司です。比類なきスーパースターである彼が、新人育成にどのような意図を持っていたかは定かでありません。自分を超える存在などあり得ないという人なわけですから。
そこで武藤全日本とはなんだったのか? という話になるのですが、個人的な感想としては、アレは90年代の新日本×WCWという掛け算によって生まれたnWo的なものの続き、武藤敬司のシャングリラだったのだと思うのですよね。
試合内容は、三冠ヘビー級のタイトルマッチこそかろうじて旧全日本を引きずっていたものの、とにかく「パッケージプロレス」と名付けられた興行のイベント性というかベクトルが完全にアメリカンプロレスなのです。
その世界の登場人物の一人となった諏訪魔に加えられた味付けはしかし、VOODOO-MURDERS加入の一時期を除けば、かなりシンプルなものでした。当初はジャンボ2世。ブードゥーを経た後は、キャラらしいキャラはありません。同期の雷陣明があまりにも多くの味付けを加えられ、いっそ混沌としていたことを考えると、興味がなかったのだろうか…と不安になるほどです。
そんな半ほったらかし状態の中で諏訪魔が自ら、再度見出した「キャラクター」こそが天龍源一郎だったのかもしれません。
アメプロ的世界観の中で天龍源一郎になるということは、非常に捻れに捻れた形ではあるものの、やはりそこには旧全日本、ジャイアント馬場への回帰性があると言えるのではないでしょうか。

このように諏訪魔の要素、本人の志向、トレーナー、基礎的世界観をおおざっぱに挙げていくと、彼はかなりの割合でNWA/WCWの要素を持つ選手であり、その舞台が日本の全日本プロレスである以上、直系の「馬場プロレス」そのものでなくとも、それに酷似したものを持ち得る(持つしかない)環境にあったと言えるのではないでしょうか。
技術論的に言うと「直接継承していない」という話で終わってしまうのですが、スタイルとしてとらえるとそういう結論が出ます。

◆海の向こうのスタイル派生

以降は完全に与太話なのであまり関係ないのですが、この定義づけで私が想起するのは、やはり90年代後半にアメリカンプロレスのメインストリーム内で似たような「馬場/三沢」的なスタイルの枝分かれが起きたことです。
それは荒く言うとショーン・マイケルズが始めたものでした。
どの試合を象徴とするべきか…ブレット・ハートとの一連の抗争もさることながら、後年のTLCブームのきっかけとなり、TLCの第一人者となったハーディーボーイズ、ダッドリーボーイズ、そしてエッジ&クリスチャンの3チーム6人が何度も「前例」として挙げた94年のWrestleMania Xのおけるレイザー・ラモンとのラダーマッチも外せないところでしょう。
ショーン・マイケルズという大変小柄ながら華のあるスーパースターが、これまでのレスラーと決定的に異なったのは、「手数の多さ」です。要するに試合構成の複雑さですね。

……というようなことを主張しているのは、実は私ではなく他ならぬマット・ハーディーです。今これを読んでいる人の中で信憑性がガクっと下がる音がしましたが、マットはああ見えて理論家で、同じくすぐ理屈でガミガミ言うタイプのエッジとこの手の事でTLC期(99年~01年)当時何度も衝突していました。

マットの言っていた事の中でも説得力があったのでこの説をいまだによく思い出して考えることが多いのですが、「三沢プロレス」的な枝分かれとして捉えると、より納得感があります。

マットによれば、HBKが流れを作ったこうしたスタイルを普遍化したのはTLC期の彼らの試合であるという主張なのですが、TLC期を支えた残りの2チーム、ダッドリーズは「ジュニアヘビー級寄り・複雑・精確」な選手を多く擁し、激しい試合を繰り広げることでカリスマ的人気を誇ったECWの出身であること、エッジ&クリスチャンはカナダインディー時代からジョニー・スミスとの交流があり、四天王時代の全日本のファンだったことなども含めて考えると、あながち無視できない話であるように思えます。

ではこの「HBKプロレス」に対比されるものはなんなのか? と問われれば、それこそがそれまで連綿と続いてきた古き良きアメリカンプロレス、そしてモンスターマッチ的なものが煮詰まった「NWA/WCW」が挙げられるでしょう。
当時はWWF内でも「大きく、単純」な傾向の方が圧倒的でしたので、そのうちの誰かを指した方が適当かもしれませんし、後期WCWには若き日のレイ・ミステリオクリス・ジェリコ(そしてド新人のAJスタイルズも)などもいた…という反証はいくらもできるのですが、総括として「NWA/WCW」と言ってしまっても、大きな間違いではないと思われます。

というわけで馬場的、三沢的という分類のアメプロバージョンは、NWA的、HBK的と言えるのではないでしょうか(そんなこんなで上のパワープラントの話に戻る)。

◆雑感

私が元々アメプロ畑の人なので、NWA的な馬場プロレスというのはその良さも特徴も非常に飲み込みやすいのですが、三沢プロレスの方は「わかるけどいまいち定義しにくい」という感じです。本人以外だと誰が当てはまるのか。

元々ジュニアだった選手がヘビー級に行くと近い「構成」になるというのはなんとなくわかるのですが、でも今そういう選手いっぱいいるからなあ…という感じ。

丸藤、宮原はかなり三沢プロレスですよね。これは間違いないと思う。

私が悩むのは、杉浦貴と中嶋勝彦の分類です。大別すれば三沢的なのでしょうが、なんか違うような気がする…。勝彦のブライアン・ケイジ戦などを思い出すと、余計に混乱します。拳王、小峠もまた何か違うような…。

冒頭に書いたように、三沢プロレスは馬場プロレスから生まれたものである以上、根底的なところに馬場プロレスが無い選手は三沢プロレスには成り得ないのでは? という気がします。

『巨星を継ぐもの』刊行記念トークライブ第2部メモ

半年以上前になりますが、2018年7月3日、渋谷LOFT9で秋山準『巨星を継ぐもの』刊行記念トークライブ「俺たちの全日本プロレスを語ろう。」というイベントがありました。

第1部は秋山、和田京平、木原リングアナの三人、第2部は最初は秋山の付き人である青柳優馬岡田佑介、木原リングアナの三人、途中から秋山も戻ってきての四人で色々思いを語る形式でした。

もう記憶がさだかでないので、残していたメモを少しだけ整形したものになりますが、記録として以下にあげておきます。

短くまとめると、この日は青柳優馬による秋山イズム継承宣言があったのです。

 

 

柳家の父親とウルティモドラゴンは同い年。会場でウルティモさんが話しかけるなどということもあった。
亮生は元々KENSOさんのファン。KENSOさんが全日本に出場していた時、コスプレして一緒に入場してきたことがある。お姉さんから優馬宛にその写真が送られてきて、優馬はびっくりして呆れた。

青柳優馬は18歳で高校卒業してすぐ入門したので、社会経験もなく子供のままだったと自分を振り返った。
テーブルマナーなどを含め、社会人として大切な事を付き人としてついた秋山準から直々に、ひとつひとつ教わった。
優馬は高校在学中に入門試験を受けて一度落ち、二度目で受かっている。
一回目は試験監督も面接官も諏訪魔で、その時はもう一回体力つけて出直してこいと言われた。
「野村さんは半年早く入門しています」
野村が入門テストを受けた日とは別の日に、一度目の入門テストを受けた(時期は一緒だったようなニュアンス。野村の試験を見たのは誰だったのだろうか)。
そして野村が正式にデビューの次の日に入門した。
二回目で合格しての入門時、同い年の人も入ったが、その人は2ヶ月くらいで辞めてしまった。
「秋山さんに付き人としてついて、きつかったことは…ありません」

岡田佑介は警察官に一度なったが「おまわりさんは理想と現実が違う」ことを知り、元々なりたかったプロレスラーを目指そうと考え入門した。
大阪のファン感の時に入門テストを受けた。試験監督は青木。
テストを受けたのは彼一人だけだったため、野村青柳ジェイクの三人が呼ばれ、一緒にメニューをやるやつを選べといわれたが、結局野村が立候補した。
その時のプッシュアップでは、野村が先に潰れてしまった(自慢気)。
だがその後もスクワットもガンガンした後にその日のメインに出た野村のことをすごいなと思った。
(暗にメインイベンターより基礎ができてると言ってるのかと木原さんに突っ込まれる岡田)
優馬から引き継いで秋山の付き人となることになったので、仕事は優馬から教わった。
ゼウス、秋山、青柳と食事に行き、その帰りから切り替わった。
木原アナに「秋山さんの車で寝ていた」という話を出されるが、寝てないと主張する岡田。
付き人は「本当に楽しかった」

~~ここで秋山登場~~
秋山「(岡田は)DDT埼玉スーパーアリーナとのダブルヘッダーの時がっちり寝てました」
寝るわ荷物を持たないわ、と責められる岡田。
岡田もついに寝ていたことを認めるが、荷物を持たなかったのは誘導をしろと言われてテンパっただけと言い訳する。
優馬はそんな岡田の様子について、秋山の奥さんから逐一メールで報告されていた。


のむやぎの二人が亮生の入門試験を見た。
優馬は弟がちょっとでもダメだったら独断で絶対に落とそうと決めていたが、できたので残した。
今いる練習生は、
・青柳弟(亮生)
・高卒、アマレス出身のでかいやつ(田村男児
・新しい大森さんこと北海道のジェイクが行ってた総合のジムの子(大森北斗)
木原アナが見るに、3人とも残りそう(事実残ってデビューした)。
亮生の受け身は筋が良いと語る秋山。
みんな一長一短だが、受け身は亮生が一歩抜きん出ている。

今までの秋山の付き人は、橋、青木、優馬、岡田で、はずれ、あたり、あたり、はずれという感じ。
橋は川田にぶん殴られて頭から出血してた(4針縫った)。
優馬は青木タイプ、岡田くんは橋さんタイプ。
橋タイプはスシタイプということですか、とまぜっかえす木原アナ。

優馬の付き人が始まったのは北海道巡業から。
秋山と食事を共にすることになった時、優馬は甘いものが好きなのでメニューのデザートのところをチラ見していた。
でも付き人がそんなデザートとか…と思っていたら、秋山が「デザートとか食べないの」と薦めてくれた。
その時は表向き「いいんですかありがとうございます(キリッ)」という感じだったけど、内心は「めちゃくちゃ嬉しくて「最高~~~~~~~~!!!!!!最高で~~~~~~~す!!!!」(微妙に宮原風に発音)という感じだったと熱弁する優馬
優馬はパフェが好き。チョコバナナパフェとかバニラアイスとかが特に好き。

秋山「そんなに(色々と面倒を見て)やってやったのに最近突っかかってきてるじゃん」
青柳「秋山さんの本にも書いてありましたけど、付き人をやっていた以上、遠慮しないとかそういう秋山さんの考え方を実践していきたい。ここは秋山全日本だから、僕が秋山イズムを体現したい。野村さんやジェイクもいるけど、付き人として色んな事を秋山さんに一番教わっているのは僕だという自負があるから」
秋山「それを言われると何も言えないな。(突っかかったり)やり返せない方がダメ。その方が俺は怒る」

岡田は腓骨が折れた。
プロレスラーは上下関係に厳しいのだろうと思っていたけど、一番下の人間にこんなに丁寧に教えてくれるものかということにびっくりした。
道場のリングで関節技ができないと見ると、秋山は自分の練習を止めてまで教えてに来てくれるという。
「青柳さんと話が被ってしまうが、付き人をやっている分、格別に目をかけてもらっている自覚はある」
ではなぜEvolutionに入ったのか?(「こいつ裏切り者ですよ」と茶化す秋山)
「いろんなことを経験したいと思ったから」
木原「マリノスの偉い人と諏訪魔さんが近いので、サッカーファンとして諏訪魔さんを利用しているんですよ」

秋山「もうちょっと僕が若かったらもっとガンガンやってやれたのに。今は青柳とアジア巡ってやれる機会が多いんで、リズムだけは教えたい。(自分が)川田さんから受け継いだリズムは一番すごい。それをだれか一人にでも託したい。今は青柳が目の前にいるので」

 

とにかく秋山の本を読んで決意を新たにしたらしい青柳の、同じ付き人のはずの岡田を圧倒する勢いでの秋山イズム継承宣言と、その勢いに押される秋山準という構図が今思い出してもエポックな出来事だった。
秋山イズムは「ニッチだから(競争相手が少なくて)ねらいやすいかと思って」などという軽口を挟む青柳の言いように、ツッコミつつもニコニコしてしまう秋山さんでした。

2018年のベストバウトなど

久しぶりにまとめて文章を書けそうな気分になったので、2018年のベストバウト(映像での観戦含む)について書こうと思います。
最近はもう全日本とノアしか見ていないので、その中でのものです。ご了承ください。


【3位】
GHCジュニアタッグ王座戦石森太二&Hi69 vs 小川良成田中稔(3.11 横浜)


前哨戦からずっと「本気の小川」の恐怖に震え続けた一戦。
退団する石森への花向けか引導か不明ながらも、最後に小川良成がここ数年ずっとかけていたベールを落としてくれた事には意味があると思う。
新宿FACEで組まれた前哨戦で、Hi69の腕をすたすたと歩く速度で握手でもするように取り、ごく平熱な仕草でアームロックをかけていた姿は忘れがたい。
単にすばやいというより、人間の意識が流れる神経電流によって明滅するフィラメントだとして、その間と間にすっと滑り込んで隙をついているかのよう。
小川良成の本気の試合を見るときの心境を、あえて誤解を恐れず書いてしまうなら、超越者を見る思いに近い。
翌日の石森退団発表を受けての超絶身勝手なベルト返上も含めて、小川良成の世界に酔わせて頂いた。
2019年は戻ってきた鈴木鼓太郎と共にどのような世界を作り出すのか。
とりあえず20日の博多が楽しみです。

 

【2位】
三冠ヘビー王座戦/ゼウス vs 石川修司(8.26 流山)

ゼウスが2015年9月1日付けで全日本所属になって3年、数度の挑戦を経て、7.29後楽園ホール宮原健斗を下し、漸く掴んだ三冠王座。その初防衛戦である。
相手は体格、膂力に勝る石川修司
初防衛戦というのは、結果より何より内容が問われ、それによって選手としての資質が査定される試合だと思う。
そういう意味でこの試合は満点以上の素晴らしいものだった。
石川修司の猛攻を受けて受けて受けながら、要所要所で的確に大巨人のHPを削り、奥の手のハイキックで動きを止め、三度目のジャックハマーでピン。
途中石川修司が仕掛けたエプロンから場外へのブレーンバスターから、PWFルールの10カウント以内に戻った姿はまさに超人だった。
ここ数年の全日本プロレスで行われた選手権試合を通して考えても、個人的にはベストワンの激闘だったと言える。
ここからは少し私(潮崎ファン)の思いいれが入った話になるが、ゼウスという選手がそもそも全日本プロレス所属となったのは、大阪時代にタッグで対戦して以来、彼に多大な影響を与えた潮崎を追ってきたという側面が大きいと思われる。
彼が全日本所属となった2015年9月……の半年前、2.7大阪で当時三冠王者であった潮崎に挑むも返り討ちとなったという経緯もあり、所属になって潮崎ともっと深く戦うことを望んでいたであろうことは想像に難くない。まあその望みは叶うことなく、潮崎は同月28日に退団してしまうのだが……。
ゼウス本人も週プロの「ターニングポイント」で挙げていたが、この2015.2.7の潮崎との三冠戦こそ、ゼウスが一段階上のレベルへと覚醒した試合であった。2018.7.29の宮原との三冠戦はこの潮崎との三冠戦を下敷きに、この時の反省を生かしたものであるように見えた(使用技や組み立てにかなりの類似がある)。
7.29で2015年の雪辱を(違う相手とはいえ)果たし、当時から抱えていたであろうひとつの思いいれに蹴りをつけた形のゼウスにとって、流山でのこの試合はまた新たな段階へと辿りついたものとなった。
そしてそれは、必然的に彼が思いいれた潮崎がこの約一週間前に戦った試合と同種の流れにあるものだったのである。

 

【1位】
GHCヘビー級王座戦/杉浦貴 vs 潮崎豪(8.18 川崎)

杉浦貴と潮崎豪GHCヘビー級王座を賭けて戦うのは実に6度目のことである。
2009年12月9日、日本武道館
2010年9月26日、日本武道館
2011年7月10日、有明コロシアム
2016年5月28日、大阪府立第一。
2016年7月30日、後楽園ホール
GHCヘビー級選手権史上最多となるこの組み合わせは、四天王プロレスの流れを最も色濃く受け継ぐプロレスリング・ノアという団体において現在、きっての黄金カードであると自他共に認めるところだろう。
本人達にとっても、大きな意味を持つカードであることは間違いないと思われるが、しかしこれまでの5度の試合はいずれも好試合以上のものではあったものの、本当の意味で二人のポテンシャルを十全に発揮し尽くした試合であったかというと、実のところやや疑問が残る。
1度目、2009年末の試合は、6月14日の秋山のタイトル返上を受けて行われた力皇との決定戦で戴冠した潮崎の、2度目の防衛戦だった。半年の間防衛戦が2度しかなかったのは、ひとえに最初の齋藤彰俊との防衛戦を、前日6月13日に逝去した三沢光晴の49日が過ぎるのを待って行ったからである。
三沢光晴最後のパートナー」として戴冠した潮崎は、勿論ベルトに相応しい激闘を戦い抜いたが、それでもこの時若干キャリア5年(杉浦は9年目)。力皇戦、齋藤戦も好試合であったが若さ、未熟さゆえの「いっぱいいっぱい」な印象も強く、特にあたりの強い杉浦との試合は、打たれ弱さが目立つものであったことは否めない。
2度の予選スラム、ターンバックルジャーマンを経ての雪崩式予選スラムで王座は杉浦に移動。
2度目、2010年の試合は2009年末の戴冠以来防衛回数を重ねた杉浦の、5度目の防衛戦。
この年の潮崎はWK、G1と新日本へのゲスト出場を多く重ね、アウェイでの経験を積んできていた(そのせいかなんとなく潮崎のイメージがこの時期で止まっているプロレスファンが多い気がする)。
また個人的に特筆するところとしては、アマレス実力者である杉浦との対戦を見越し、本田多聞に教えを請うて回転地獄五輪を受け継ぐなどのユニークな行動も起こしている。
試合はのっけから猛打戦、最後は潮崎のナックルパートを受けてお返しとばかりの顔面パンチ乱打、マウントを取ってのパウンド式エルボー、後頭部キックからの予選スラムで杉浦が防衛。
杉浦にとって高山、秋山と実力者の先輩達を下して迎えたこの潮崎戦は、この当時において「ノアの未来」を見せるというテーマを持っていた。
そのテーマには相応しい激闘であったと思われるが、武道館の客入りは過去最低をマーク。今も時折引用される杉浦の「三沢さんがいない武道館、小橋さん、秋山さんが欠場していない武道館はどうですか!?」というマイクはこの時のものである。
「もっともっと俺と潮崎の試合で(団体の)価値を上げて満員にして、お客さんを呼べるようになればいいんじゃないですか」という試合後コメントが示すように、杉浦-潮崎が黄金カードとなる一里塚は、1度目ではなくこの2度目の時に築かれたと言えるだろう。
2009年の「お前サイコーだよ!」という試合後コメントもそうだが、一貫して杉浦は潮崎を買っている。
ハードヒットな自身のスタイルを全て受け止めることのできる受身の上手さ、そして体格から来る膂力の強さなどを鑑みて、団体内で最も拮抗する位置にいるのが潮崎だからと考えて相違ないだろう。だがこの時点ではやはりまだもう少し足りなさがあり(ゆえに勝てない)、伸びしろに期待しての「買い」であったと思われる。
杉浦はこの後、現在に至るも最多となる14度の防衛を重ねる。時代を作ったと言って良い活躍であり、2018年の杉浦が「まだ自分は時代を作っていない」という認識だったのは驚きがあった。しかしこうして武道館の客入りに関するマイクや、震災を巡る鈴木みのるとのやりとりなどを振り返ると、本人にとってはままならぬことの多い期間であったのかもしれない。
3度目、2011年の試合は、恐らく杉浦にとっても潮崎にとっても、不本意な部分の多い試合だっただろう。
潮崎がナビ初戦に行われた挑戦者決定戦である6.11有明の森嶋戦で負った腰、脇腹の負傷が癒えぬまま、王座戦に臨まざるを得なくなったのだ。厳重なテーピングでナビを乗り切ったものの、王座戦後に発表したところによれば、肋骨に罅が入っていたとのことだった。
そんな事情を勘定に入れるはずもない杉浦はあくまで非情に徹し、6.29横浜では八つ当たりのようにシングルを組まれた(当時若手の)宮原健斗をボコボコにした上で、「痛がりすぎ」という怒りのコメントを出している。
当日の王座戦も、杉浦は潮崎の腹部に攻撃を集中させ、幾度も幾度ももう潮崎は立ち上がれないのではないかという瞬間があった。それでも、弱弱しく呻きながらも潮崎はゾンビのように蘇り、最後は豪腕ラリアット、リバースゴーフラッシャー、ムーンサルトプレス、前後からの豪腕ラリアット、ゴーフラッシャー、そしてこのナビで初披露となった新技リミットブレイクで漸くピン。
こう書き出すと凄まじい消耗戦だが、印象としては負傷を抱えたままの潮崎の「辛そう」な姿ばかりが残るものだった。
このお互い本意ではなかったであろう試合を最後に、杉浦と潮崎の王座戦は5年の休眠期間を迎える。
2012年12月、潮崎がノアを退団したからだ。
退団を発表した5人に最も怒りを言明していた杉浦は、迎えた12.23の潮崎とのシングルマッチで凄惨なKO劇を観客に見せ付ける。
これまで奥の手として使ってきたナックルを最初から振るい、顔面、後頭部を蹴り上げ、マウントを取ってのパウンド式エルボーもほとんど殴りつけるようなもので、はっきり言ってしまえばプロレスとして成立するかしないかのギリギリのラインにあるような試合だった。これを受けてKOされた潮崎にとってそれは禊だったのか。杉浦もまた「こんな事」をせざるを得ない事態を招いた退団組に再度の怒りを燃焼させたような様子で、気が晴れることは無かっただろう。

そして5年後、4度目にあたる2016年の王座戦は、お互い想像もしなかったであろう形での再会となった。
2015年の9月に全日本プロレスを退団、11月に古巣ノアへフリーという立場で乗り込んだ潮崎。
折りしもプロレスリング・ノアは2015年初頭より始まった、新日本プロレスの独立ユニット「鈴木軍」による侵略を受けていた。
個人個人では確固とした実力を有しながらも卑怯な手段に徹し、乱入、反則を多用してのベルト独占。「試合内容の確かさ」を何よりの売りとしてきたノアは、まさに屋台骨を破壊された状態で、選手もファンも激しい屈辱と苦痛の只中にあった。
11.20後楽園ホールで登場した潮崎への観客の反応は、歓迎4割、困惑4割、激しい拒絶2割であったと記憶している。そう、実は歓声があったのだ。しかし翌日のプロレスマスコミや団体側からの「報道」は拒絶一色であったものとされた。そういうものだと断言されれば、そういう風に反応するのが「正しい」ものなのだろうと受け取るのが人間である。以降の半年、潮崎は当初の歓声など幻であったかのごとく、容赦ないブーイングと罵声に晒される事となった。
会場で見ていた限り、元からのノアファンと思しき観客のほとんどは、態度を決めかねていたように見えた。罵声を浴びせる層には、団体への衷心から「出もどり」を許せずにいる観客も居たが、はっきり言うと結構な割合で「ノアの選手はだれかれ構わず罵倒したい」愉快犯的な観客も居た(居たんです)。
その様子が徐々に変わっていったのは、かつてのタッグパートナーであるマイバッハ谷口と組み始めた翌年2016年の2月半ば頃からだった。この時期、潮崎は特別なコメントはほとんどせず、ただ「ノアの力になりたい」という言葉を繰り返す。一見芸がないとも取れるが、信頼を取り戻すという事は地道な積み重ねでしか為し得ないものである事を思えば、これは正しい選択であったと言えるだろう。
また4月14日に故郷熊本を襲った地震を受けてのチャリティー活動として、毎大会募金箱を持って会場に立ち続ける姿も、観客の心を動かすのに一役買ったと思われる。
そうして潮崎は少しずつ、古巣に受け入れられていった。
一方の杉浦はどうしていたかと言えば、潮崎が帰還して1ヵ月後の12.23大田区大会でノア側を裏切り鈴木軍へ加入。翌1月の横浜文体で、鈴木軍総動員の乱入劇を繰り広げて丸藤からGHC王座を強奪するという……わかりやすいヒールになっていた。
もしも鈴木軍の侵略がなければ、「2012年の続き」が杉浦と潮崎の間で始まるのが本来の流れであっただろう。
一度「裏切った」落とし前を今度こそつける。かつてノアの未来と嘱望されたエース候補であり「三沢光晴最後のパートナー」である潮崎が、一度故郷を捨てたという事実、その清算を果たすには、もう一度杉浦と武道館でやったような試合をするしかなかった……はずだった。しかしこの時、明確な「悪」となっていたのは杉浦の方だった。潮崎は、ノアの力になるため、ノア側の選手としてこの「悪」に立ち向かう、「善」……ベビーフェイスとなった。一部にわだかまりを残したまま。
こうして、非常にねじれた形で4度目の王座戦が組まれた。場所は大阪、府立第一。
2016年5月28日の大阪府立第一は、なかなか奇妙な雰囲気であった。
それもそのはず、この時期ノアの客層は、ノアファンと鈴木軍ファン(新日ファン)が混交としており、さらに言えばノアファンは1年に及ぶ「ろくな試合が見られない」状況に疲れ果て、観戦を取りやめる者も少なくなかった。
だがこの大阪の地の観客は……恐らく暴虐の繰り返された関東の観客よりはまだ、疲れてはいなかった。だが、昨年より続くこの状況に困惑は抱いている。この頃のノアの後楽園ホールは会場全体がささくれた雰囲気であったが、この日府立第一を支配していたのは、漫然とした不安感であった。それは、まだ期待が残っていた事を意味する。
個人的な思い出を入れるなら、この日私の隣に座った青年は、鈴木軍ファンであった。しかし関東の自ら悪辣な態度を取ることを楽しむようになっていた鈴木軍ファンと違って、彼はただの「ヒールユニットのファン」としてごく普通の声援を送るばかりだった。
結論から言えば、この日の王座戦は「さほど乱入されなかった」。パイプ椅子の使用はあったものの、乱入はノア側のセコンドによってほぼ防がれ、シェルトン・ベンジャミンが来てトラースキックを入れたくらいだった(「くらい」と言うのもおかしいが)。
つまり、試合時間のほとんどにおいて以前の武道館、そして2012.12.23の続きとしての杉浦対潮崎の試合が行われたのである。ゆえに、非常に変則的な形であったものの、この試合(とその次のベンジャミン戦)は、潮崎の禊として機能した。
この試合で潮崎は、ノア帰還以来初の「シオザキ」コールを受ける。観客が擦れ切っていなかった大阪の地であることも利したであろう。
コーナーでの激しい頭部へのエルボー、予選スラムは着地。スピアーを膝で迎撃。豪腕ラリアットは左のラリアットで返され、張り手の乱打を受けて崩れ落ちる。その間もコールは止まない。ナックルは中山レフェリーが阻止、その間に復活した潮崎が豪腕ラリアット、リミットブレイク、再度の豪腕ラリアットでピン。
気がつけば横の鈴木軍ファンの青年は、激しい試合に感嘆の声をあげ、「どっちもすげえ」と潮崎の勝利に拍手を送っていた。
当時ノアのマッチメイク権限を持っていたのは、キャプテン・ノアという名でノアの興行に帯同していた選手であるともっぱら言われている。それが本当だとして、一体彼が何を考えてこの大阪の試合を設定したのかはわからない。
潮崎の帰還を許した時点で、遠からず杉浦戦を迎えることは予定に入れていただろう。
だがこれは劇薬である。杉浦と潮崎の間にある物語は、鈴木軍が1年のうちに作った虚構のドラマではない。7年前から続く本物の「ノアの未来」の物語なのだ。一旦それを見せてしまえば、人々は虚構の幻から醒めてしまう。観客だけではなく、選手もだ。
試合後コメントで潮崎が語った「もう二度と手にすることはできないと思っていた」「長い道のりの半年間」「つらいことばかりだったが、それは俺が歩まねばならない、俺が選んだ道」「これまでこのベルトを巻いてきた人たちが築き上げてきた歴史」といった言葉に比べれば、続いて発せられたベンジャミンのWWEで培ったいかにもなプロフェッショナル精神を感じさせる挑戦の言葉はあまりにも作り事めいていた。
この半月後、6.13後楽園ホールでベンジャミンの挑戦を退けた潮崎は、三沢光晴の遺影の下で再入団を直訴。観客の声援の後押しを受け、丸藤にノアのジャージをかけてもらい、再入団を果たすのだった。
ちなみにこのベンジャミン戦に至っては、乱入ゼロ。鉄柵にジャイアントスイングの要領でぶつけまくったり、テーブルクラッシュも飛び出すハードコアめいたベンジャミンの試合には乱入の必要もなかったという判断かもしれないが、個人的には潮崎の持ってきた「本物」の感情を伴うドラマを前に、虚構がその威を失ったという印象を受けた。
5度目、その反動であろうか、7.30後楽園ホールで行われた杉浦のリマッチにあたる5度目の杉浦対潮崎GHC王座戦は、虚構の中の泡沫のような試合だった。
形式からしてランバージャックマッチである。マッチメイク権限を持っていた選手としても、潮崎入団を経て再度虚構のドラマの巻きなおしを計ったのかもしれないが、とにかく乱入とパイプ椅子が入り乱れる試合だった(この試合で最も納得がいかないのは、ヨネが杉浦にキン肉バスターをしてしまった事だ。潮崎側にはベビーフェイスに徹して欲しかった)。
終盤は杉浦のワンツーエルボー連打からの後頭部エルボー、豪腕ラリアットをエルボーで迎撃しての左ストレート、二回目の予選スラムでピン。はっきり言えば物足りない試合だった。それは5月6月に本物の物語を見てしまった観客としては、当然の事だ。
しかし一旦呼び起こされた本物のドラマの流れは、人を動かすのに十分な呼び水となったのか、この年の11月にエストビー株式会社に母体を移した新生ノアが誕生し、鈴木軍駐留時代は終わりを告げる……が、まあそれは憶測である。

やたらめったら前提が長くなってしまったが、かようにこれまでの杉浦潮崎戦は黄金カードのポテンシャルを備えていながらも、恐らく2010年のものを除いて、微妙に十全な状態ではない状況下での試合だったのだ。
そして2018年である。
昨年の心臓手術を終えてから絶好調、3月の文体から拳王、小峠、丸藤と下してのV4戦となる杉浦。
過去の自分のごとき若手の清宮と組んだGTLで、鬼神の強さを発揮し、ほぼ一人で杉浦拳王組を下して優勝した潮崎。
共に過去最強と呼べる仕上がりで、何の邪魔も無い状態。
前哨戦では潮崎が圧倒的な強さを見せつけ、7.31横浜大会では直接ピンフォールも奪っている。
キャリアによる経験の差もほぼ埋まり、9年かけて漸く、初めて対等の条件が整ったのがこの8月18日だったのだ。
この日の凄まじい試合の中で、ひとつ特筆すべき事があるとしたら、潮崎が過去の試合のように「痛がる」瞬間が事が無かったことだろう。全日所属時代、渕正信に「三沢光晴に匹敵する受けの上手さ」と言わしめたその受けの天才ぶりを十二分に発揮しながら、間を置くことなくすぐさま立ち上がり、反撃に転ずる……。恐らく過去の杉浦も潮崎に感じて来たであろう「後一歩の物足りなさ」を完全に解消した試合だった。
それは潮崎が全日本プロレスへの移籍によって……そしてその全日本プロレスが分裂の危機に見舞われて対戦相手の選択肢が無くなり、業界最高峰の「あたりの強さ」を誇る諏訪魔と激しい試合を繰り返し続けたことによって磨かれた打たれ強さだ。
そもそも、その諏訪魔との対戦は、ノア退団後の潮崎が真っ先に希望したものでもあった。誰との試合が最も自分を磨くものとなるか、感じ取っていたのかもしれない。
2011年9月23日、潮崎の持つGHCヘビー級王座に挑み敗れた高山善廣が「あの右手、名刀ってさ、焼かれて叩かれて強くなるものじゃん。あいつには焼くやつも叩くやつもいなかった」とコメントした事がある。これは潮崎二度目のGHC王座戴冠のV2戦だ。
潮崎にはずっと、ライバルとなる同期がいなかった。お互いの一勝一敗に感情を揺さぶられながら切磋琢磨していく相手、自分の力量を測る指標となる相手を持つ事ができないまま、キャリアを重ねていた。
諏訪魔は、同じ2004年にヘビー級でデビューした同期である。そしてそれ以上に、2012年6月23日の名古屋大会のお互いに吸い寄せられるような試合を見るに、胸に期するものを抱いたのであろう。
そして初めての「ライバル」との戦い、激動する全日本の荒波で自らを磨き上げた潮崎は、2015年1月2日、ついに三冠ヘビー級王座を戴冠する。この試合はまさに、かつて秋山準が彼に期待した大輪の花を咲かせた試合だった。だがその花を肝心のライバルであった諏訪魔は見なかった。潮崎が戴冠した三冠戦の相手は、ジョー・ドーリングである(彼はキャリアこそ違うが、潮崎と同い年だ)。諏訪魔は潮崎の三冠に挑戦しなかったのだ。ゼウス、宮原を迎えた防衛戦で、彼らを次の段階に引き上げるような試合をした潮崎は、チャンピオンカーニバル準決勝で脇腹を負傷、世界タッグ王座を奪取して五冠を達成するも、すぐさま曙相手に三冠を落としてしまう。そして……世界タッグの相手にも諏訪魔は名乗りをあげず、そのまま潮崎は全日本を退団したのだった。鈴木軍禍に揺れる方舟に帰還するも、虚構の中にあってはその実力を出し切れず、また新生ノア以降もまだどこか「引け目」を感じさせる立ち居振る舞いが残っていた。それが完全に払拭されたと感じたのは、清宮とのGTL優勝以降である。
そして8月18日、潮崎はすべての箍を外し、最強のチャレンジャーとして杉浦に立ち向かった。
中盤過ぎには、全日本時代以来封印していたトップロープ越えのノータッチトペ、(防がれたものの)ムーンサルトプレスも敢行。新技としてブラックタイガー式シットダウンパワーボム(スプラッシュマウンテン)も披露。30分を超えても試合はまだ終ることなく……試合は永遠に続くかと思われ、二人は不死身の人々であるかのようだった。ジャーマンの掛け合いから意地の頭突き合戦にエスカレート、だが豪腕ラリアットのカウンターで左ストレートを入れられ、再度の豪腕ラリアット敢行は堪えられ、左ラリアット、顔面へのニーからの二度目の予選スラム。カウント2で返すやコーナーにセットしての雪崩式予選スラムでピン。34分22秒の激闘に終止符が打たれた。
大輪の花、そして真の意味で磨き抜かれた名刀を受け止めたのは、やはり9年前からの因縁を持つ杉浦貴だった。
この日出された予選スラムは雪崩式も合わせて3回。フィニッシャーがフィニッシャーとして機能しない、命と魂を賭した究極の消耗戦。先述したように、一週間後ゼウスが流山で石川修司相手に行った試合も同種のものだった。潮崎を指標として邁進し続けたゼウスが結果としてたどり着いたのは、実のところ現在の全日本的というより、よりノア的な…つまりは四天王プロレスの世界に近しい試合であったというのは、必然であったとも言えるだろう。


杉浦は敗れてリングを去る潮崎に「俺がベルトを持っている間は、ずっとお前の前に立ってやる」と言った。
この日、「ノアの未来」は「ノアの現在(いま)」となったのだ。それは、現在のメルクマールだ。この杉浦と潮崎のGHC王座戦こそが、現在におけるGHC王座戦の指標である。
最高到達点とは言うまい。まだ先があるかもしれないから。

 

 

 

f:id:nerilow:20190106215435j:plain

 

ベストバウトの話にかこつけて、潮崎豪という選手のことをざらっと書いた感じになりました。もっと細かい話もいっぱい書けるのですが、大きな流れとしてはこういう風に彼を捉えているという史観……私観をどこかで書いておきたかったのです。

 

改めてまとめて思うけどやっぱり毎回終盤の左ストレートがなー。反則だから納得いかない気分にはなるけど、反則入れられたから仕方ないか……という諦めにもなるので、どうにもこうにも。
ベストバウト次点(4位)は4.11後楽園ホールのGTL決勝です。
2009年のGTL決勝を美しくなぞり、潮崎にとっては「三沢光晴最後のパートナー」としての業を昇華した、個人的にもこんなに他人の事で泣くことがあろうかというほど泣いた試合でしたが、タッグの試合としては潮崎が一人で頑張りすぎて清宮くんなにもしなかったなーという感じなので次点で。

あとやっぱりゼウスには、もう少し防衛記録を伸ばして欲しかったですね……。


プロレス大賞っぽく、他の部門を適当に書くなら以下のような感じです。
MVP&殊勲賞:丸藤正道
全日本との国交復活、WWEとの交渉成功という二つの大きな風穴を業界に空けた事以上の活躍があるでしょうか。20周年イヤーに相応しい大事業であったと思います。
敢闘賞:杉浦貴
約1年にわたって激闘を繰り広げてきたゴリラのお父さんに何か賞をあげたい。
技能賞:潮崎豪
明らかに経験不足な清宮とのタッグを優勝に導いた事をはじめ、高橋奈七永とのミクストシングルや、ほぼジュニア級選手ばかりのD王GP出場など、難しい試合にすべて完璧な回答を出した戦いぶりに、あえての技能賞を送りたい。永世技能賞は小川良成
ベストタッグ:野村直矢青柳優馬
この1年、アジアタッグ奪還以降の成長が著しかったので。それでも最強タッグではなかなか勝てなかったが、確実に良い試合をするところまでは到達していた。来年は非常に楽しみという意味でのベストタッグ。孫びいきではない。