Gazes Also

…もまた覗く

リプリゼンテーションの色々な形

 

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 ↑のエントリを書いて、ずっと一緒に考えていたのが、リプリゼンテーションの必要性とその大きな影響力についてでした。
創作物や有名人の中にマイノリティ属性の人がいることで、その属性の人が「こういう風に生きていいんだ」と希望を持つことができるので、当然リプリゼンテーションは必要です。
トランスジェンダーのこれまでの創作物の中での扱いを総括したプログラムとしてNetflixが『トランスジェンダーとハリウッド(Disclosure)』を作ってくれたのは本当に大きくて、リプリゼンテーションの事については「これ見て!」で終了してもいいくらいになったように思います。
エグゼクティブプロデューサー兼語り部の一人として出演しているラヴァーン・コックスは本当に素敵な役者さんなので、みんなついでに『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』も見てねって感じです。

www.netflix.com

 

近年ゲイ、レズビアンは、昔の悪役or悲劇の二択からもっと豊かで多様な生活を送る存在として描かれるようになりましたし、トランスジェンダーにも光明は差してきているように思います。

しかしアセクシャルのリプリゼンテーション…と考えた時、あまりにもものが少なすぎるてまだ何も言えない、というのが現状ですよね…。まあAはLGBTにも入っていないので…。
あらゆる属性が出てきたかに思えるNetflixのアニメ『ボージャック・ホースマン』では、メインキャラクターの一人トッドがアセクシャルとして自覚、カミングアウトしていくところまでは良かったのですが、「性的に惹かれるという機微に全く無理解」だったり、最終シーズンで「アセクシャル同士の出会い系アプリ」を作って出会った人と同棲を始めているなど、いくつか疑問の残る表象になってしまったのが残念でした。
恐らくトッドは「ロマンティック・アセクシャル」で、他人に恋愛的な惹かれ方はするけど、性的に惹かれることは無いという属性だったんかな…とか想像することはできるんですが、主題じゃないせいもあって端折られすぎていたように思います。
それでも、トッドが両親に対して吐露する「僕は一人前の大人だ」という思いは、性的関係を築けないため独り身で生きるアセクシャルが受けたことのあるであろう「未熟な人間扱い」への悲しみや怒りとして、立派なリプリゼンテーションの役割を果たしていたとは思います。
創作物を見ていて、アセクシャルかなあ…と思うキャラクターはいないでもないのですが、ほとんどの場合明言されることはないですよね。それに異性に対してよそよそしいなーと思ったらレズビアンだったとか、別ルートの回収をされることもあって、明言されるまではリプリゼンテーションとして見ることはできないのですよね…。

個人的なつらみになってしまうのですが、『アドベンチャータイム』のプリンセス・バブルガムは、シーズン1くらいの頃の主人公フィンへの淡々とした態度から、当初はアセクシャルなのかなと思って観ていました。
最後にはきちんとマーセリンとのキスも描写されて、レズビアンカップルのビッグアイコンとなった彼女にそういうつらみを掛けてしまうのはこちらも申し訳ないのですが、「あ、違ったんだ…」というのはちょっとしたダメージも喰らいます。
あとは『アナと雪の女王』のエルサですね。エルサは作中明言されていないので、まだアセクシャルとして見させてくれ~! と思うのですが、世界では「エルサに同性の恋人を」キャンペーンをするファン活動が盛り上がったりしているので、割と戦々恐々としています。いやディズニーがそっちに梶を切ったら、立派なレズビアンアイコンになるしそれは素晴らしいことだと思いますが……でもほんと確定された瞬間にこっちの手元はゼロになっちゃうので…やるならその「傷つけ」を割り切る覚悟をもってバッサリしっかりやってくれと思います。

というか別に文句は言いませんから、レズビアン表象だって少ないんだから、アセクシャルはもう少し我慢しろみたいな、マイノリティの順位付けを言い訳にするのだけは、やめてください。こっちはもっと無いの! 我慢させられている間も、若いアセクシャルの子は自分を未熟な人間のできそこないだと思って苦しんでるんですよ。
少ないパイを奪い合うのは意味がないけど、さらに数が少ない連中はもうちょっと我慢しろよって論調だけはやめて欲しいです(これはそういうことを言うひとがいるから書いてます)。

最近知ったばかりなのですが、インディーゲーム『one night, hot springs』シリーズの3作目『spring leaves no flowers』が、もろにアセクシャルを主題としています。

youtu.be

私はこちらの紹介動画を見て、1作目からプレイ中なのですが、1作目と2作目がトランスジェンダー、3作目がアセクシャルを主題とした選択式ノベルゲームです。
まあ~~~なんというか、当事者としては「周囲が優しすぎるだろ!!」と思いますが、これは多分1作目、2作目をやったトランスの人もそう思うことでしょうね。
でも、優しい世界で丁寧に心の機微を描写してくれることで、当事者だけでなくより多くの人の心にリーチする作品になっていると思います。
トランス、アセクシャル当事者だけでなく、もっと多くの人に触れて欲しい作品です。
私はこの↑動画で本当に信じられないくらい泣いてしまって、自分がどれだけ同じ属性のリプリゼンテーションに飢えていたのかわかりました。

私はもうずいぶん前にこういうことを割り切り、独りでバリバリと、でも趣味をきっかけにした友達もいて(みんなありがとうございます)楽しく生きていて、自分を未熟だとも思っていませんが、誰かにこういう話をしてほしかったと心の奥でずっと思っていたんですね。

Twitterアセクシャルであることを書くようになってから、時折検索で私のツイートに行きついたであろう若いAの子に「いいね」をもらったりするようになったのですが、そういう子のホームを見に行くと、大概みんな自分は非人間的な魂の持ち主なのではないかという自責に苦しんでいます。いつも違うよ、そうじゃないよと声をかけたいと思いつつ、FF外から失礼しますで急にそんなこと言われても怖いだろうと思いとどまっているので、届かないとは思いますがここに書いておきます。

「あなたが他人に性的に惹かれることが無くても、非人間的なわけでも未成熟なわけでもありません。性的関係以外にも、人間の関係性はたくさんあります。あなたが人間社会の中でどのように生きていきたいのか私にはわかりませんが、人に関わるにしろ、極力関わらないにしろ、自分の尊厳=プライドをきちんと持つことで、同様に他人の尊厳も尊重していけば、あなたの望む生き方はできるはずです」

このエントリに特にオチはないですが、多様な生き方ができる社会になるといいね…という気持ちをここにおいて、またこのエントリが小さなリプリゼンテーションのひとつとなることを祈って、オチとさせて頂きます(オチがないと不安になるタイプ)。