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非当事者なりのトランス差別への抵抗として

私はTwitterを運用するにあたって、「過去に差別発言をし、その訂正をしていないアカウントが正論を言っていてもRTしない」という自分ルールを敷いているのですが、これのおかげで最近どんどんRTできるアカウントが減っています。
民族差別をしない→病気や障がい者等の差別をしない→女性差別をしない→LGBTQAの差別をしないというように篩をかけていくと、普段反差別的言動をしているアカウントでもLGBTのTで引っ掛かるアカウントが爆増しているからです。その大半は女性です(男性はまあ、気にも留めていないので発言もしない人がほとんどだからでしょうが)。

LGBTQAの「A」の人間にとって、これは本当にキツいです。自分のとこまで判定基準が来てねえ。
私は性自認は女性のシスなんですが、性的指向はあえて言うならバイロマンティック・アセクシャルで、男女両方に愛情を抱くことはあるけど、性的には何にも惹かれないみたいなめんどくさいやつです。アロマンティックだったらもっとわかりやすかったんですけど、どうもバイなんですよね。これまで生きてきて明らかに「好み」の男性/女性がいたのでこれはそうだと思ってます(めちゃどうでもいいですけど、「推し」はこの「好み」の枠ではないです…)。20201102追記:用語が間違っていたので修正しにきました。デミって書いてたんですけど、バイですね。デミ性はあんまりないです私。ただバイロマではあるんですけど、とにかく相手からのリターンが無理なのでそういう意味ではリスロマンティックの方が優先されるのかな…優先とかなくて併記しておくのがいいのかと思うので、バイ/リスロマンティック・アセクシャルですかね。こういう定義づけってめんどくさいとは思うんですけど、定義によって認知が生まれるというか、結局定義しないと「ヘテロのできそこない」のまんまなんですよ。だから定義は大事です。アイデンティティになりますから。
だからシス女性一般が男性に対して感じる「恐怖」は十分に理解していますが(痴漢にあったことも、まだAの自認がなかったころにはいわゆるデートレイプ案件も何度も経験しています)、同時にシス女性の中で一般的な異性愛女性から異物のように扱われる経験もしています。人間的に未成熟なものとされたり、非人間的と断じられるやつですね。Aが受ける被害というのはこういう精神的なものが多いと思います。肉体的な被害は大概望まぬ性行為の強要なので、要するにレイプであり、犯罪被害に相当するのでA特有の被害とはちょっとカテゴリがズレるかもしれません(ただ、A自認がないころに恋人のような関係になった人に流されて関係を持ち、自認を持った後にそれがずっとトラウマになってるとかはAあるあるな気もします…)。

トランス差別をするシス女性のほとんどは、トランス男性ではなくトランス女性を執拗に攻撃しているように見えます。おそらく、そういった女性達は、一度「男」という特権を持って生まれた人間が、それを手放すことなどあり得ないと思っているのでしょう(そしてトランス男性について深くは考えていなそうに見受けられます)。
でも、それは違います。
トランス女性は、女性です。
大枠の「女性」というカテゴリの中では少数の、多数の女性とは異なる背景を背負っている女性です。それだけの話です。
私も性自認ではなく性的指向の面でいえば、「多数の女性とは異なる背景を背負っている女性」です。でも普通に暮らしています。
それでも彼女達は、トランス女性には生理がないから、とか、女性として育てられた抑圧がないから、とか、いろいろ「ダメ出し」をしてなんとか「女性」のカテゴリからトランス女性をはじこうとすると思いますが、そもそもですね、子宮に障害があって生理がない女性もいますし、若くても病気で子宮を全摘した女性もいますし、逆にもうめちゃくちゃ健康でさらにご家庭が自由でメチャお金持ちだったりして想像しうる「女性的抑圧」が全くない人生を送っている「女性」もいるのです。
余談ですが、昔仕事で数人、男女雇用機会均等法以前に出世した女性にお話を聞く機会がありました。その時、いろいろあって生理の話を全員に聞いたのですが、全員生理がめちゃくちゃ軽かったんですよね。女性ならではの悩みにこたえる、みたいな趣旨でインタビューしたのに、生理痛もないし、出産も超安産だったし、実家が太くてバックアップもすごいので何も悩みはない、みたいな人もいました。
数人なのでサンプルとしては少ないのですが、男女雇用機会均等法以前に活躍している女性、ほぼほぼスーパーウーマンすぎて現代の女性と目線が合わないのでは…と困惑した記憶があります。これ、ちゃんと統計取ってほしいですね。

話が逸れましたが、要するに一口で女性と言っても、背景は様々です。
というか、肉体的な条件を基準にすると、あっという間に病人と障がい者がはじかれて、優生保護法みたいな話になるんですよ。
よく聞く「女装した男がトランスと言い張ってトイレで盗撮などをする」みたいなやつは、実際それ何件あったの?という点において、完全に女性専用車両の話をしているときに痴漢冤罪の話をする人と同じ藁人形論法です。あとそれ、「男性」が犯人の話ではないですか?「トランスと言い張って」の時点でトランスではないですよね。
こんな怖い発言をしている人がいた!もともと男だからこういうことを言うんだ!というのも、なんというか女性差別撤廃を訴えているときに、男性に男性器の写真を送りまくって罵倒を繰り返すタイプの攻撃的な女性(ツイレディとか)を指して「こんな下品で暴力的なやつがいるから女性差別はあって当然」と男性に言われたら「いや、そいつはさあ…」となりませんか。あと罵言を吐く人は女性にも死ぬほどいるので「男の証拠」にはなりません。
差別が起きている、と指摘されたときは、まず穏やかに語ってくれている人からで構いませんので、当事者の声を聴いてください。
それから、こちらのサイトの「トランスジェンダー」のカテゴリのニュース記事を読んでみてください。記事の半分以上が、暴力事件です。いやがらせ、暴行、殺害…トランスジェンダーが受けている実際の生々しい被害を、よく知ってください。

www.ishiyuri.com

 

人がたくさん死んでいるのです。
そして、死というリスクに直面しても、やはりトランス女性/男性は、己の自認を貫こうとしているのです。トランスジェンダーが、なにかよからぬ意図のために装っているだけなら、死を突き付けられた時点で普通やめませんか?
それくらいの想像力をもってほしいです…。

あと、女性差別が解決していないのにトランスの権利とか言い出すなみたいな言い方も、トイレの藁人形論法に関連して時々見かけますけど、そういったより大きな集団のために小さい集団に忍耐を強いるのって、政治運動の中で女性差別が起きた時のあるあるですよね。政治問題が解決していないんだから女は黙ってろという論法。
ひとつの差別を解決するために、他の差別を黙認するなどといいうことが、どうして許されるのでしょうか。反差別に例外を作ることは、原理的に不可能です。何かへの差別を許せば、自分が受けている差別にも道理があるということになりますから。
私はトランスジェンダー当事者ではありませんが、少し似た位置にいるマイノリティ属性の一人として、すべての差別に反対します。
そして繰り返し言うのは、トランス女性は女性、トランス男性は男性です。ついでに言えばノンセクは無性です。

Twitterで初めてフェミニズムに触れた人の中に反トランスが生まれてしまうメカニズムは、肌感覚で理解できます。女性の抑圧を再認識してしまうということは、そのあまりの無惨な歴史、加害の残した深い傷跡を、自分もまた負っているいうことを認識するということに他ならないからです。男性性への強い敵意も生まれるでしょう。それでそのまま被害者意識から動けなくなってしまうのも、わかります。でも、だからといって自分たちよりさらにマイナーな立場の人間を「雑に」(トランス女性を男性と決めつけて)抑圧しても良い理由にはなりません。

敵はそっちじゃない。敵は家父長制でしょう。

我々はともに家父長制の被害者です。労りあい、連帯すべきなのです。