Gazes Also

…もまた覗く

全日本プロレスとは何か/全日本プロレス「らしさ」とは何か

3.23全日本プロレス後楽園ホール大会で行われる、王者宮原健斗 対 挑戦者諏訪魔三冠ヘビー王座戦を前に、表題の問いかけをテーマにしたインタビューが公式Youtube週刊プロレスから発信されている。

公式Youtubeのインタビューでは20日現在、秋山準、木原文人リングアナウンサー、大森隆男和田京平名誉レフェリー、武藤敬司川田利明の6人のインタビューがアップされた。あと2日であるとしたら、渕正信と小橋健太がありそうだが、どうだろうか。

今上がっているこの6人だけでも、それぞれ異なりつつ重なり、相互に補完しあう回答が上がってきていてなかなか興味深いので、簡単にとりまとめつつ、感想などを書いておきたい。

 

宮原健斗の矛盾

まず、週刊プロレス2058号の宮原健斗インタビューである。
難解…というか宮尾記者が何度も似たような質問を繰り返すせいで、宮原の回答も少しずつそのたびにズレて行きわかりにくいので、少し整理したい。
まず「全日本プロレスとは何か」という問いの答えに相当する部分をインタビューの中から抜粋するなら、間違いなくこの箇所になる。

「全日本は歴史と伝統が息づく場所。その場所がいまはボクだってことです」

この一文が宮原の答えである。現在進行形では自分がそうだという話で、本来的にはこれを結論としても良いかもしれないのだが、この後宮原は「全日本“らしさ”とは何か」と設問を変えて回答を試みようとしている(というか宮尾記者が何度も聞くので答えざるを得なくなっている)。

というかそもそも、公式Youtubeが「全日本プロレスとは何か」と問うているのに対し、宮原は終始「全日本“らしさ”とは何か」という言い方をしている。
公式が本質論を語ろうとしているのに対し、宮原の言い方はパブリックイメージが主題になっているのだ。
そして、宮原はこの「らしさ」に関して、矛盾した回答をしている。

①「ボクが言葉を発したり、行動することって全日本らしくないんですよ」

②「ボクは申し訳ないけど、全日本らしさっていうのは知らない。(中略)そんなのあるのかな?って思っちゃう」

恐らく、宮原の「全日本“らしさ”とは何か」の問いに対する答えは②である。「らしさ」などというものは「ない」。その時々のチャンピオンこそが「全日本」であり、それぞれの王者自身のイメージが「全日本らしさ」を作っているということだろう。
だがしかし、同時に①なのである。
自らの定義を「全日本らしくない」としているということは、つまり宮原の中には実際のところ「全日本らしさ」が存在しているのだ。そして、その「らしさ」から自分は外れているという自覚がある。

質問立てが悪いせいで、一つのインタビュー内で矛盾した回答が発生している…と宮尾記者のせいにしてもいいのだが、この矛盾こそが、宮原健斗の今回のテーマなのだろう。歴史が作り上げてきた「全日本らしさ」というのは確実に存在する。だが歴史が長い分、それぞれの時期で「らしさ」は微妙に異なっている。その「らしさ」が風前の灯になるほど変わっていた時期すらある。
そしてそれとは別に、団体の独自テーマや方向性というものは、他団体との差異を明確にするためにも、無くてはならないものだ。
全日本と新日本の違いはわかりやすかろうが、では同じ全日本系列であるNOAHや大日本とは何が違うのか? その最高王座である三冠戦は、どういった試合が最上であるとされるのか?
歴史に寄らない「全日本らしさ」こそ、宮原健斗が追及すべきものであるだろうし、それは本人も多分わかっている(が、宮尾記者の問いたてがぐちゃぐちゃなので言葉にできなかったのだろう)。

 

とはいえ、歴史は重要…というより、歴史抜きに何かを規定し得ることは無い。
以下に、公式Youtubeのそれぞれのインタビューを見比べて簡単にまとめてみよう。

秋山準

www.youtube.com

Q.全日本プロレスとは
「プロレス界の頂点に立つべき団体」

Q.三冠王者といえば
「最初は鶴田さんだったが、直接見てきたので(やはり)三沢さん」

Q.印象に残る三冠戦
「三沢対小橋。これ以上やったら死ぬなっていう。ブランド(力)が凄すぎて、超えられない」

Q.三冠と他のベルトの違い
「歴史」

Q.三冠戦とは
「死力を尽くして最後まで戦う、最高のタイトルマッチ」


あっこれは思ったより…思ったよりNOAHな回答が出たな、というのが私の率直な感想です。三冠王者三沢、試合は三沢小橋と言った時点で「死力を尽くして~」の部分は三沢小橋が基準であり、それははっきり言うとNOAHに持っていかれたコンセプトだと思います。持っていかれた、というよりは全日本の歴史として残ってもいるので、「完全に被っている部分」と言うのが正しいニュアンスでしょうか。
ただこれは秋山さんの選手としての来歴を鑑みれば当然ちゃ当然なので、特に不思議なことはありません。

◆木原文人

www.youtube.com

Q.全日本プロレスとは
「明るく楽しく激しく、そして新しく、さらにカッコよく」

Q.三冠とは
力道山のインターナショナルが62年、アントニオ猪木のユナイテッドナショナルが50年近く、ジャイアント馬場が創設したPWFが40年近くの歴史がある」

Q.三冠戦とは
「歴史と時代、全てを背負って頂を目指す戦い」

ジャンボ鶴田の三冠統一以降の試合をほぼ全て観て来た木原さんの語る「三冠」は、かなり歴史に重みを置いたものでした。
秋山さんの言う「死力を尽くして~」じゃない三冠戦もたくさん観て来た人ならではの回答という感じがします。
結びのあたりで、「前代未聞のV11」に挑戦しているという点では宮原健斗もまた歴史に対する挑戦者である、という話をしているのですが、これがなんとなく、最初に挙げた宮原インタビューの矛盾の原因のような気がします。V9までは歴史を否定し続けても良かったのだと思いますが、ことここに至って、歴史から逃れられなくなったというか。

大森隆男

www.youtube.com

Q.全日本プロレスとは
「日本中、世界中のプロレス団体の中で、ナンバーワンの団体」

Q.三冠戦とは
「日本一、世界一の価値ある試合をする選手権試合。いや、ワイルドな選手権試合だ!」

お話のほとんどが、ご自分の三冠戦に関するものだったので、これこそが現役プレイヤーだ!!と逆に嬉しくなりました。大森さんの五冠戴冠時間、めちゃくちゃ短かったよね……。いやダブルタイトル持ち時間はみんな大体短いけど、それにしても短かったですよね…。
また機会を作って狙ってください…!
偶然だろうけど、潮﨑と言い回しが被ってしまっていて(日本一、世界一のとこ)なんかフフってなった。

和田京平

www.youtube.com

Q.全日本プロレスとは
「歴史。タッチにしてもロープワークにしても、馬場さんから受け継いだ技術がある。受身もそう。他の団体とは違う。歴史」

Q.印象に残る三冠戦
「全日本でというのであれば、三沢対川田。何が起こるかわからない。いきなりスピンキックで三沢が脳震盪を起こす。川田が腕を骨折する。それでもやる。開始5分で止められるかっての。それが三冠戦。バチバチな緊張感がある」

Q.全日本とは
「ルール。プロレスはルールがあるから面白い。うわー全日本厳しいとお客さんに思われるくらいの。プロレスのルールを全日本が(お客さんに)教えましょう」

Q.三冠王者
「レスラーの頂点。三冠は全日本の宝」

Q.三冠戦とは
和田京平


三冠戦以外の宮原健斗は王者らしくないのでむかつく!諏訪魔を応援したい!とちょっと笑いながら言っていたのですが、これはPWFルールを堅守する京平さんならではの見方だな~と思いました。
結局のところ、何をもって三冠戦であるかと言うと、PWFルールに則っていれば三冠戦なんですよね。当たり前ですけど。死力を尽くすか尽くさないかは、その後の問題なわけです。だからこの三冠戦=和田京平は(まあ実際京平さんが居ない時期も三冠戦は行われていたのですが)、至極納得の行くものです。
三本時代を長く見てきた京平さんは昔の方に思い入れがあるし、三本時代といえば川田、三沢、ハンセン…(鶴田さんの名前が出なかった)、でも今は一本でいいのだろうし、一本のベルトが未来へ歴史を刻んでいくのだろうし、その一本は今、宮原ありきのイメージである、というのは、なんとなく今も見ている昔からのファンの大体の総意にあたる言葉のように思えます。
というか、三冠戦といえば三沢川田なんですね。秋山さんの言う三沢小橋ではなく。これもすごくわかります(上にも書いたけど三沢小橋はNOAHすぎる)。
あと奇しくも、という感じですが、上記の宮原インタビューと同じ号に橋本大地のインタビューが掲載されていたのですが、大日本と全日本の違いとして、「全日本には技術がある」ということを言っていたのが印象的でした。京平さんのインタビューでも「技術」という言葉が出てきていますが、基礎技術に重きを置くのは全日本の伝統ですよね。

武藤敬司

www.youtube.com

Q.全日本プロレスとは
「7年前俺が去った団体。それでも続いているってことは、まあ頑張ったってことなのかな」

Q.全日本のスタイル
保守本流力道山から始まったものは馬場さんの方へ伝わった。受けの美学の会社であるというイメージがあったが、実感もした」

Q.三冠とIWGPの違い
「ファン(客)が違う」

Q.三冠ベルト
「なんで一本にしちゃったの。三本作れば良かったのに。三本あれば三本なりのストーリーがあるんだから」

Q.三冠王者といえば
「比較はできない。だが、レスラーたるものどれだけの人間に影響を与えたかが重要。力道山なんかは誰もが見ていた。俺の時代も後楽園ホールなんかでは三冠戦はやらなかった。そういうパイが小さくなってきたのは寂しい」

Q.三冠戦とは
「記憶は薄れていくものだから、記録を出したほうが勝ちだよ」


内部と外部の境目の人の話として面白いですね。
保守本流という言葉が引き出せたのが最大の収穫だと思います。これまでの人たちが語ってきた言葉がすべてその証拠ですよね。

というかかつての武藤全日本時代も、別に「全日本らしさ」とか考えないでやってたんだな…というのがよくわかりますね……。
ここで「らしさ」なんか1ミリも考えずに会社を経営し、三冠王者にもなっていた人が出てきたというのは大きいです。
考えないとこうなる、ということの見本だと思います。

川田利明

www.youtube.com

Q.全日本プロレスとは
「僕にとっての原点。全日本プロレスという名前を、どんな形でもいいからいつまでも残して欲しい」

Q.全日本と聞いて何を思い浮かべるか
「馬場さん。馬場さん、鶴田さん。その名前が出てこないと全日本プロレスじゃない、というほど当時はすごかった」

Q.三冠王者といえば
「鶴田さん。ベルトはまとめちゃって正解だと思ってた。三本あれば興行で色々できるんでしょうけど、まとめたほうが良かった」

Q.印象に残る三冠戦
「やはり三沢さんとの試合。あの人が普段出さない表情や感情を出してくれたから。俺に対してだけ特別な感情を出してくれた」

Q.V10時代の防衛ロード
「一人も同じジャンルの人がいない。みんな印象に残っている。ドン・フライは最初の5分がすごかった。」

Q.宮原健斗のV10に関して
「(V10ということで)自分の名前が出てきて、思い出してくれるなら嬉しい」

Q.諏訪魔に関して
「昔ながらの全日本プロレスの片鱗が残っている」

Q.全日本プロレスのイメージ
「アットホーム」

Q.全日本プロレスのイメージ
「これというものに固定してしまうと、幅がなくなってしまう。みんなが理解してくれれば(それが三冠戦である)。どんな形でも、三冠戦というものを残す事が大事」

 
どんな形でもいいから全日本プロレス、三冠戦というものを永遠に残して欲しい……という言葉が初めと終りに繰り返されたのが印象的です。
四天王プロレスという全日本プロレスの究極の時代と、大量離脱でそれが崩壊し、まったく異なる思想の武藤全日本へと変化した時代を両方見てきている人が出した、最終的に何を守るべきなのかということへの答えだと思います。
名前が残れば、記録も残る。その中で、過去の人々は永遠に残る。
名前さえ、名前さえ守れれば……。

全日本プロレスとは諏訪魔である

ところで私は、今の全日本プロレス諏訪魔だと思っています。
対外的には明らかに「宮原健斗が王者の団体」だと思いますが、実際のところ、芯の部分というか、リング上の基準を作っているのは諏訪魔だからです。
全日本の歴史を遡ると、鶴龍時代であるとか四天王時代であるとか、いくつかの区切りがあります。
「全日本らしさ」はそれぞれの時代によって、微妙に異なっています。
京平さんのように、ひとくちに「バチバチ」と言っても、当たりの強さ、方向性、技術の質や量などは結構違いますよね。
で、その差異の基準は、その時代のトッププレイヤーの能力に左右されます。
この基準、今現在…というか少なくとも、2013年からずっと三冠戦の基準は諏訪魔なんじゃないかと思うんですよ。
諏訪魔という技術と膂力を持ち合わせた怪物的なレスラーが、遠慮なしに動ける激しい試合。宮原政権に代わり、諏訪魔がシングル戦線から遠ざかってなお、この基準値は特に更新されていないように思います。
これは宮原が割りと相手に合わせて内容を変化させられるレスラーだから、というのもあるんですが(諏訪魔さんは「遠慮する」くらいしかバリエーションがないですよね…)。
宮原が先に戴冠していれば、基準値となっていたと思うのですが(その場合は試合に「速度」も求められるようになっていたでしょう)、諏訪魔が先である以上、これは覆しようの無いことです。
ついでに言うと、これまでの「基準値」は大体黄金カードありきなのですが、今の基準値は黄金カードじゃないんですよね。黄金カードが無いので。
諏訪魔 対 宮原は黄金カードのポテンシャルを持ちながらも、本人同士の噛み合わなさによって黄金カードにはなり得ていません。諏訪魔さんは宮原に興味が無いし、宮原は諏訪魔さんのレスラーとしての古臭さが嫌いだというのでどうにもこうにも。
諏訪魔の黄金カードといえば「新ライバル伝説」と言われた対潮﨑なのですが、今いないのでどうにもこうにも。

諏訪魔は名実ともに全日本プロレスである、と私は思います。
じゃあ宮原は何なのかと言われたら、それは「宮原健斗」です。彼は別に「全日本プロレス」ではない、というのが現状。別にそれでもいいのでは?と思うのですが、もしそれ以上のものを彼が求めるのなら…やはり記録に残るしかないのではないでしょうか。
どんなものでも、記録に残れば「歴史」ですから。IWGP王者の歴史を振り返る時どうしてもボブ・サップの名前が出てしまうのと一緒です(例えが最悪)。