ほとんど私信なのですが、あまりにも長いのでブログを使います。
上記のnoteを読んで、友人といくつか解釈の分かれるところがありました。
ので、私が思うところをまとめておこうと思い立ったのですが、その成り立ち上、まず市瀬英俊『夜の虹を架ける』を読み、かつ上記のnoteを読み、しかる後ようやく意味が通るというものになっております。ブログで公開して書く意味あるのか…?
タイトルは手元にあった平岡正明の『志ん生的、文楽的』から。
◆long story short
上記の鹿島健氏のnoteで、「馬場プロレス」「三沢プロレス」というカテゴリが出てきます。
四天王で言えば、三沢は当然三沢プロレス、田上は馬場プロレス、小橋・川田は両方できるというような。
現役では、諏訪魔は馬場プロレス、潮崎は馬場プロレスとして突き抜けた才能を持ち、三沢プロレスにおいては高い水準でありながらもまあまあくらいというような。
で、友人は諏訪魔って馬場プロレスなのか? ということに疑問を抱いているようなのですが、私は少し切り口の違う観点ながら、諏訪魔は完璧な馬場プロレスの人であると思っておりますので、その辺を書きます。
◆定義
個々人の属性を云々する前に、前提となる「馬場プロレス/三沢プロレス」という分類について、定義を確かめる必要があるでしょう。
そもそもこの定義自体、三沢光晴が馬場門下である以上、いくつか「くっついて」いるところがあり、厳密な差異を論ずるにあたって感覚的にならざるを得ないところがあると思われるのですが、とりあえず今は論拠としている鹿島氏のnoteから該当箇所を抜き出してみます。
"馬場プロレスとは、何よりもまず、デカくて強いことこそを無上の価値とするプロレスである。そこから必然的に導かれるスタイルとして、一つ一つの技をさらに大きく見せるかけ方が追求され、試合の攻防そのものはわかりやすい単純化が志向される。
一方、元々が二代目タイガーマスクとしてジュニアヘビー級の選手であった三沢は、体格やパワーを重視するプロレスに大きな価値を置くことはなかった。たとえ小型のレスラーであってもテクニックを備えている者は高い評価の対象となり、一つ一つの技はコンパクトな精確さが追求され、試合の攻防も複雑化が押し進められることになった。
(中略)
その後の三沢のキャリアを見ると、スタン・ハンセンやテリー・ゴディやスティーヴ・ウィリアムスやゲーリー・オブライトなどとの試合は必ずしも優れたものではなく、凡戦になってしまうことも結構な頻度であったのだ。
デカくて強くてヤバい上に、強引に引きずり回すような試合をしてくる外人レスラーに食らいついて死闘を展開していたのは、川田であり小橋であるのだった。……そう、川田と小橋の二人だけは、本来なら正反対である馬場プロレスと三沢プロレスの両方を修得し、状況に応じて適切な方を選択するために、必要に応じて二つのスタイルを自由自在にスイッチすることができていたのである"
シンプルにまとめると、身体の「スーパーヘビー級志向/無差別あるいはジュニアヘビー級志向」、試合構成の「単純/複雑」、技の「大きく見せる/精確性」という対比がここで書かれていることがわかります。
馬場プロレスに対する表現の羅列から何が思い浮かぶかといえば、それははっきり言ってしまえばアメリカンプロレスです。
アメリカの広い会場でもはっきりわかるデカさ、見易さ、派手な技のかけ方は、現在に至るもアメリカンプロレスの礎石となる要素です。
勿論大元のアメリカンプロレスからローカライズを経ている以上、現出しているものは実際アメプロにはそこまで似ていないのですが、要素だけ抜き出すと、根を同じくしているものであるとは言えるでしょう。
この要素的類似性から導き出せるのは、つまりジャイアント馬場が日本プロレスでのデビュー、そして海外時代、全日本プロレスの旗揚げ以降も含め、一貫として続けてきた「対外国人選手」の試合が基調になったものこそが、ここで定義づけされている「馬場プロレス」なのではないでしょうか。
「馬場/三沢」を分かつものは精神性や出自ではなく、スタイルなのです。
◆志向、教えられたもの、与えられた環境
諏訪魔に話を戻します。
上記の定義を踏まえて彼の要素を分解していくと、やはり諏訪魔は「馬場プロレス」の人で相違ないと私は思うのです。
まず、彼が崇拝し、スタイルやキャラクター性自体を志向している天龍源一郎は間違いなく「馬場プロレス」の人です。後年の激しさや容赦のない武骨なスタイルが浮かぶ向きかもしれませんが、彼の基調となっているのは4年間の海外修行時代、ファンクスによって教え込まれたNWA的正調アメリカンプロレスです。
(90年の日米レスリングサミットでのランディ・サベージ戦の完璧なアメプロっぷりはその結実の一つでしょう)
また諏訪魔に「プロレス」を教えたトレーナーは、カズ・ハヤシです。
ハヤシさんはメキシコ(みちのく)とアメリカ(WCW)をバックボーンとした選手。ジュニアヘビー級を育てるにあたってはメキシカンスタイルが伝授されていたことは、かつてのKAI、大和ヒロシなど元全日本出身者を見ればわかることですが、彼がヘビー級を育てるにあたって何を参考にしたかは不明です。
まあ少なくともメキシカンスタイル+アメリカンスタイルの複合的な思想に基づくトレーニングであったことはほぼ間違いないでしょう。ここでWCWの新人育成所パワープラントが念頭に置かれることがあったとすれば、かなり「それっぽい」流れだとは思いますが……。
WCWは発足こそNWAの流れを汲む正統アメリカンプロレスの団体…だったはずなのですが、NWA脱退後はアメプロの中に底流として存在し続けていたモンスターマッチ的な志向が煮詰まりに煮詰まった場所でもあります。
とはいえ、パワープラントでコーチを担当していたのは、ポール・オーンドーフやマイク・グラハムなどといった元NWAのレスラー達でした。
また諏訪魔は新人の時期を過ぎた頃あたりからは、渕正信に話を聞いたり、移動中に鶴龍時代の動画を見て自分から「馬場プロレス」の研究を進めていた事も知られています。
仕上げに、諏訪魔の世界観的指導者、プロデューサーとして登場するのは武藤敬司です。比類なきスーパースターである彼が、新人育成にどのような意図を持っていたかは定かでありません。自分を超える存在などあり得ないという人なわけですから。
そこで武藤全日本とはなんだったのか? という話になるのですが、個人的な感想としては、アレは90年代の新日本×WCWという掛け算によって生まれたnWo的なものの続き、武藤敬司のシャングリラだったのだと思うのですよね。
試合内容は、三冠ヘビー級のタイトルマッチこそかろうじて旧全日本を引きずっていたものの、とにかく「パッケージプロレス」と名付けられた興行のイベント性というかベクトルが完全にアメリカンプロレスなのです。
その世界の登場人物の一人となった諏訪魔に加えられた味付けはしかし、VOODOO-MURDERS加入の一時期を除けば、かなりシンプルなものでした。当初はジャンボ2世。ブードゥーを経た後は、キャラらしいキャラはありません。同期の雷陣明があまりにも多くの味付けを加えられ、いっそ混沌としていたことを考えると、興味がなかったのだろうか…と不安になるほどです。
そんな半ほったらかし状態の中で諏訪魔が自ら、再度見出した「キャラクター」こそが天龍源一郎だったのかもしれません。
アメプロ的世界観の中で天龍源一郎になるということは、非常に捻れに捻れた形ではあるものの、やはりそこには旧全日本、ジャイアント馬場への回帰性があると言えるのではないでしょうか。
このように諏訪魔の要素、本人の志向、トレーナー、基礎的世界観をおおざっぱに挙げていくと、彼はかなりの割合でNWA/WCWの要素を持つ選手であり、その舞台が日本の全日本プロレスである以上、直系の「馬場プロレス」そのものでなくとも、それに酷似したものを持ち得る(持つしかない)環境にあったと言えるのではないでしょうか。
技術論的に言うと「直接継承していない」という話で終わってしまうのですが、スタイルとしてとらえるとそういう結論が出ます。
◆海の向こうのスタイル派生
以降は完全に与太話なのであまり関係ないのですが、この定義づけで私が想起するのは、やはり90年代後半にアメリカンプロレスのメインストリーム内で似たような「馬場/三沢」的なスタイルの枝分かれが起きたことです。
それは荒く言うとショーン・マイケルズが始めたものでした。
どの試合を象徴とするべきか…ブレット・ハートとの一連の抗争もさることながら、後年のTLCブームのきっかけとなり、TLCの第一人者となったハーディーボーイズ、ダッドリーボーイズ、そしてエッジ&クリスチャンの3チーム6人が何度も「前例」として挙げた94年のWrestleMania Xのおけるレイザー・ラモンとのラダーマッチも外せないところでしょう。
ショーン・マイケルズという大変小柄ながら華のあるスーパースターが、これまでのレスラーと決定的に異なったのは、「手数の多さ」です。要するに試合構成の複雑さですね。
……というようなことを主張しているのは、実は私ではなく他ならぬマット・ハーディーです。今これを読んでいる人の中で信憑性がガクっと下がる音がしましたが、マットはああ見えて理論家で、同じくすぐ理屈でガミガミ言うタイプのエッジとこの手の事でTLC期(99年~01年)当時何度も衝突していました。
マットの言っていた事の中でも説得力があったのでこの説をいまだによく思い出して考えることが多いのですが、「三沢プロレス」的な枝分かれとして捉えると、より納得感があります。
マットによれば、HBKが流れを作ったこうしたスタイルを普遍化したのはTLC期の彼らの試合であるという主張なのですが、TLC期を支えた残りの2チーム、ダッドリーズは「ジュニアヘビー級寄り・複雑・精確」な選手を多く擁し、激しい試合を繰り広げることでカリスマ的人気を誇ったECWの出身であること、エッジ&クリスチャンはカナダインディー時代からジョニー・スミスとの交流があり、四天王時代の全日本のファンだったことなども含めて考えると、あながち無視できない話であるように思えます。
ではこの「HBKプロレス」に対比されるものはなんなのか? と問われれば、それこそがそれまで連綿と続いてきた古き良きアメリカンプロレス、そしてモンスターマッチ的なものが煮詰まった「NWA/WCW」が挙げられるでしょう。
当時はWWF内でも「大きく、単純」な傾向の方が圧倒的でしたので、そのうちの誰かを指した方が適当かもしれませんし、後期WCWには若き日のレイ・ミステリオやクリス・ジェリコ(そしてド新人のAJスタイルズも)などもいた…という反証はいくらもできるのですが、総括として「NWA/WCW」と言ってしまっても、大きな間違いではないと思われます。
というわけで馬場的、三沢的という分類のアメプロバージョンは、NWA的、HBK的と言えるのではないでしょうか(そんなこんなで上のパワープラントの話に戻る)。
◆雑感
私が元々アメプロ畑の人なので、NWA的な馬場プロレスというのはその良さも特徴も非常に飲み込みやすいのですが、三沢プロレスの方は「わかるけどいまいち定義しにくい」という感じです。本人以外だと誰が当てはまるのか。
元々ジュニアだった選手がヘビー級に行くと近い「構成」になるというのはなんとなくわかるのですが、でも今そういう選手いっぱいいるからなあ…という感じ。
丸藤、宮原はかなり三沢プロレスですよね。これは間違いないと思う。
私が悩むのは、杉浦貴と中嶋勝彦の分類です。大別すれば三沢的なのでしょうが、なんか違うような気がする…。勝彦のブライアン・ケイジ戦などを思い出すと、余計に混乱します。拳王、小峠もまた何か違うような…。
冒頭に書いたように、三沢プロレスは馬場プロレスから生まれたものである以上、根底的なところに馬場プロレスが無い選手は三沢プロレスには成り得ないのでは? という気がします。