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2018年のベストバウトなど

久しぶりにまとめて文章を書けそうな気分になったので、2018年のベストバウト(映像での観戦含む)について書こうと思います。
最近はもう全日本とノアしか見ていないので、その中でのものです。ご了承ください。


【3位】
GHCジュニアタッグ王座戦石森太二&Hi69 vs 小川良成田中稔(3.11 横浜)


前哨戦からずっと「本気の小川」の恐怖に震え続けた一戦。
退団する石森への花向けか引導か不明ながらも、最後に小川良成がここ数年ずっとかけていたベールを落としてくれた事には意味があると思う。
新宿FACEで組まれた前哨戦で、Hi69の腕をすたすたと歩く速度で握手でもするように取り、ごく平熱な仕草でアームロックをかけていた姿は忘れがたい。
単にすばやいというより、人間の意識が流れる神経電流によって明滅するフィラメントだとして、その間と間にすっと滑り込んで隙をついているかのよう。
小川良成の本気の試合を見るときの心境を、あえて誤解を恐れず書いてしまうなら、超越者を見る思いに近い。
翌日の石森退団発表を受けての超絶身勝手なベルト返上も含めて、小川良成の世界に酔わせて頂いた。
2019年は戻ってきた鈴木鼓太郎と共にどのような世界を作り出すのか。
とりあえず20日の博多が楽しみです。

 

【2位】
三冠ヘビー王座戦/ゼウス vs 石川修司(8.26 流山)

ゼウスが2015年9月1日付けで全日本所属になって3年、数度の挑戦を経て、7.29後楽園ホール宮原健斗を下し、漸く掴んだ三冠王座。その初防衛戦である。
相手は体格、膂力に勝る石川修司
初防衛戦というのは、結果より何より内容が問われ、それによって選手としての資質が査定される試合だと思う。
そういう意味でこの試合は満点以上の素晴らしいものだった。
石川修司の猛攻を受けて受けて受けながら、要所要所で的確に大巨人のHPを削り、奥の手のハイキックで動きを止め、三度目のジャックハマーでピン。
途中石川修司が仕掛けたエプロンから場外へのブレーンバスターから、PWFルールの10カウント以内に戻った姿はまさに超人だった。
ここ数年の全日本プロレスで行われた選手権試合を通して考えても、個人的にはベストワンの激闘だったと言える。
ここからは少し私(潮崎ファン)の思いいれが入った話になるが、ゼウスという選手がそもそも全日本プロレス所属となったのは、大阪時代にタッグで対戦して以来、彼に多大な影響を与えた潮崎を追ってきたという側面が大きいと思われる。
彼が全日本所属となった2015年9月……の半年前、2.7大阪で当時三冠王者であった潮崎に挑むも返り討ちとなったという経緯もあり、所属になって潮崎ともっと深く戦うことを望んでいたであろうことは想像に難くない。まあその望みは叶うことなく、潮崎は同月28日に退団してしまうのだが……。
ゼウス本人も週プロの「ターニングポイント」で挙げていたが、この2015.2.7の潮崎との三冠戦こそ、ゼウスが一段階上のレベルへと覚醒した試合であった。2018.7.29の宮原との三冠戦はこの潮崎との三冠戦を下敷きに、この時の反省を生かしたものであるように見えた(使用技や組み立てにかなりの類似がある)。
7.29で2015年の雪辱を(違う相手とはいえ)果たし、当時から抱えていたであろうひとつの思いいれに蹴りをつけた形のゼウスにとって、流山でのこの試合はまた新たな段階へと辿りついたものとなった。
そしてそれは、必然的に彼が思いいれた潮崎がこの約一週間前に戦った試合と同種の流れにあるものだったのである。

 

【1位】
GHCヘビー級王座戦/杉浦貴 vs 潮崎豪(8.18 川崎)

杉浦貴と潮崎豪GHCヘビー級王座を賭けて戦うのは実に6度目のことである。
2009年12月9日、日本武道館
2010年9月26日、日本武道館
2011年7月10日、有明コロシアム
2016年5月28日、大阪府立第一。
2016年7月30日、後楽園ホール
GHCヘビー級選手権史上最多となるこの組み合わせは、四天王プロレスの流れを最も色濃く受け継ぐプロレスリング・ノアという団体において現在、きっての黄金カードであると自他共に認めるところだろう。
本人達にとっても、大きな意味を持つカードであることは間違いないと思われるが、しかしこれまでの5度の試合はいずれも好試合以上のものではあったものの、本当の意味で二人のポテンシャルを十全に発揮し尽くした試合であったかというと、実のところやや疑問が残る。
1度目、2009年末の試合は、6月14日の秋山のタイトル返上を受けて行われた力皇との決定戦で戴冠した潮崎の、2度目の防衛戦だった。半年の間防衛戦が2度しかなかったのは、ひとえに最初の齋藤彰俊との防衛戦を、前日6月13日に逝去した三沢光晴の49日が過ぎるのを待って行ったからである。
三沢光晴最後のパートナー」として戴冠した潮崎は、勿論ベルトに相応しい激闘を戦い抜いたが、それでもこの時若干キャリア5年(杉浦は9年目)。力皇戦、齋藤戦も好試合であったが若さ、未熟さゆえの「いっぱいいっぱい」な印象も強く、特にあたりの強い杉浦との試合は、打たれ弱さが目立つものであったことは否めない。
2度の予選スラム、ターンバックルジャーマンを経ての雪崩式予選スラムで王座は杉浦に移動。
2度目、2010年の試合は2009年末の戴冠以来防衛回数を重ねた杉浦の、5度目の防衛戦。
この年の潮崎はWK、G1と新日本へのゲスト出場を多く重ね、アウェイでの経験を積んできていた(そのせいかなんとなく潮崎のイメージがこの時期で止まっているプロレスファンが多い気がする)。
また個人的に特筆するところとしては、アマレス実力者である杉浦との対戦を見越し、本田多聞に教えを請うて回転地獄五輪を受け継ぐなどのユニークな行動も起こしている。
試合はのっけから猛打戦、最後は潮崎のナックルパートを受けてお返しとばかりの顔面パンチ乱打、マウントを取ってのパウンド式エルボー、後頭部キックからの予選スラムで杉浦が防衛。
杉浦にとって高山、秋山と実力者の先輩達を下して迎えたこの潮崎戦は、この当時において「ノアの未来」を見せるというテーマを持っていた。
そのテーマには相応しい激闘であったと思われるが、武道館の客入りは過去最低をマーク。今も時折引用される杉浦の「三沢さんがいない武道館、小橋さん、秋山さんが欠場していない武道館はどうですか!?」というマイクはこの時のものである。
「もっともっと俺と潮崎の試合で(団体の)価値を上げて満員にして、お客さんを呼べるようになればいいんじゃないですか」という試合後コメントが示すように、杉浦-潮崎が黄金カードとなる一里塚は、1度目ではなくこの2度目の時に築かれたと言えるだろう。
2009年の「お前サイコーだよ!」という試合後コメントもそうだが、一貫して杉浦は潮崎を買っている。
ハードヒットな自身のスタイルを全て受け止めることのできる受身の上手さ、そして体格から来る膂力の強さなどを鑑みて、団体内で最も拮抗する位置にいるのが潮崎だからと考えて相違ないだろう。だがこの時点ではやはりまだもう少し足りなさがあり(ゆえに勝てない)、伸びしろに期待しての「買い」であったと思われる。
杉浦はこの後、現在に至るも最多となる14度の防衛を重ねる。時代を作ったと言って良い活躍であり、2018年の杉浦が「まだ自分は時代を作っていない」という認識だったのは驚きがあった。しかしこうして武道館の客入りに関するマイクや、震災を巡る鈴木みのるとのやりとりなどを振り返ると、本人にとってはままならぬことの多い期間であったのかもしれない。
3度目、2011年の試合は、恐らく杉浦にとっても潮崎にとっても、不本意な部分の多い試合だっただろう。
潮崎がナビ初戦に行われた挑戦者決定戦である6.11有明の森嶋戦で負った腰、脇腹の負傷が癒えぬまま、王座戦に臨まざるを得なくなったのだ。厳重なテーピングでナビを乗り切ったものの、王座戦後に発表したところによれば、肋骨に罅が入っていたとのことだった。
そんな事情を勘定に入れるはずもない杉浦はあくまで非情に徹し、6.29横浜では八つ当たりのようにシングルを組まれた(当時若手の)宮原健斗をボコボコにした上で、「痛がりすぎ」という怒りのコメントを出している。
当日の王座戦も、杉浦は潮崎の腹部に攻撃を集中させ、幾度も幾度ももう潮崎は立ち上がれないのではないかという瞬間があった。それでも、弱弱しく呻きながらも潮崎はゾンビのように蘇り、最後は豪腕ラリアット、リバースゴーフラッシャー、ムーンサルトプレス、前後からの豪腕ラリアット、ゴーフラッシャー、そしてこのナビで初披露となった新技リミットブレイクで漸くピン。
こう書き出すと凄まじい消耗戦だが、印象としては負傷を抱えたままの潮崎の「辛そう」な姿ばかりが残るものだった。
このお互い本意ではなかったであろう試合を最後に、杉浦と潮崎の王座戦は5年の休眠期間を迎える。
2012年12月、潮崎がノアを退団したからだ。
退団を発表した5人に最も怒りを言明していた杉浦は、迎えた12.23の潮崎とのシングルマッチで凄惨なKO劇を観客に見せ付ける。
これまで奥の手として使ってきたナックルを最初から振るい、顔面、後頭部を蹴り上げ、マウントを取ってのパウンド式エルボーもほとんど殴りつけるようなもので、はっきり言ってしまえばプロレスとして成立するかしないかのギリギリのラインにあるような試合だった。これを受けてKOされた潮崎にとってそれは禊だったのか。杉浦もまた「こんな事」をせざるを得ない事態を招いた退団組に再度の怒りを燃焼させたような様子で、気が晴れることは無かっただろう。

そして5年後、4度目にあたる2016年の王座戦は、お互い想像もしなかったであろう形での再会となった。
2015年の9月に全日本プロレスを退団、11月に古巣ノアへフリーという立場で乗り込んだ潮崎。
折りしもプロレスリング・ノアは2015年初頭より始まった、新日本プロレスの独立ユニット「鈴木軍」による侵略を受けていた。
個人個人では確固とした実力を有しながらも卑怯な手段に徹し、乱入、反則を多用してのベルト独占。「試合内容の確かさ」を何よりの売りとしてきたノアは、まさに屋台骨を破壊された状態で、選手もファンも激しい屈辱と苦痛の只中にあった。
11.20後楽園ホールで登場した潮崎への観客の反応は、歓迎4割、困惑4割、激しい拒絶2割であったと記憶している。そう、実は歓声があったのだ。しかし翌日のプロレスマスコミや団体側からの「報道」は拒絶一色であったものとされた。そういうものだと断言されれば、そういう風に反応するのが「正しい」ものなのだろうと受け取るのが人間である。以降の半年、潮崎は当初の歓声など幻であったかのごとく、容赦ないブーイングと罵声に晒される事となった。
会場で見ていた限り、元からのノアファンと思しき観客のほとんどは、態度を決めかねていたように見えた。罵声を浴びせる層には、団体への衷心から「出もどり」を許せずにいる観客も居たが、はっきり言うと結構な割合で「ノアの選手はだれかれ構わず罵倒したい」愉快犯的な観客も居た(居たんです)。
その様子が徐々に変わっていったのは、かつてのタッグパートナーであるマイバッハ谷口と組み始めた翌年2016年の2月半ば頃からだった。この時期、潮崎は特別なコメントはほとんどせず、ただ「ノアの力になりたい」という言葉を繰り返す。一見芸がないとも取れるが、信頼を取り戻すという事は地道な積み重ねでしか為し得ないものである事を思えば、これは正しい選択であったと言えるだろう。
また4月14日に故郷熊本を襲った地震を受けてのチャリティー活動として、毎大会募金箱を持って会場に立ち続ける姿も、観客の心を動かすのに一役買ったと思われる。
そうして潮崎は少しずつ、古巣に受け入れられていった。
一方の杉浦はどうしていたかと言えば、潮崎が帰還して1ヵ月後の12.23大田区大会でノア側を裏切り鈴木軍へ加入。翌1月の横浜文体で、鈴木軍総動員の乱入劇を繰り広げて丸藤からGHC王座を強奪するという……わかりやすいヒールになっていた。
もしも鈴木軍の侵略がなければ、「2012年の続き」が杉浦と潮崎の間で始まるのが本来の流れであっただろう。
一度「裏切った」落とし前を今度こそつける。かつてノアの未来と嘱望されたエース候補であり「三沢光晴最後のパートナー」である潮崎が、一度故郷を捨てたという事実、その清算を果たすには、もう一度杉浦と武道館でやったような試合をするしかなかった……はずだった。しかしこの時、明確な「悪」となっていたのは杉浦の方だった。潮崎は、ノアの力になるため、ノア側の選手としてこの「悪」に立ち向かう、「善」……ベビーフェイスとなった。一部にわだかまりを残したまま。
こうして、非常にねじれた形で4度目の王座戦が組まれた。場所は大阪、府立第一。
2016年5月28日の大阪府立第一は、なかなか奇妙な雰囲気であった。
それもそのはず、この時期ノアの客層は、ノアファンと鈴木軍ファン(新日ファン)が混交としており、さらに言えばノアファンは1年に及ぶ「ろくな試合が見られない」状況に疲れ果て、観戦を取りやめる者も少なくなかった。
だがこの大阪の地の観客は……恐らく暴虐の繰り返された関東の観客よりはまだ、疲れてはいなかった。だが、昨年より続くこの状況に困惑は抱いている。この頃のノアの後楽園ホールは会場全体がささくれた雰囲気であったが、この日府立第一を支配していたのは、漫然とした不安感であった。それは、まだ期待が残っていた事を意味する。
個人的な思い出を入れるなら、この日私の隣に座った青年は、鈴木軍ファンであった。しかし関東の自ら悪辣な態度を取ることを楽しむようになっていた鈴木軍ファンと違って、彼はただの「ヒールユニットのファン」としてごく普通の声援を送るばかりだった。
結論から言えば、この日の王座戦は「さほど乱入されなかった」。パイプ椅子の使用はあったものの、乱入はノア側のセコンドによってほぼ防がれ、シェルトン・ベンジャミンが来てトラースキックを入れたくらいだった(「くらい」と言うのもおかしいが)。
つまり、試合時間のほとんどにおいて以前の武道館、そして2012.12.23の続きとしての杉浦対潮崎の試合が行われたのである。ゆえに、非常に変則的な形であったものの、この試合(とその次のベンジャミン戦)は、潮崎の禊として機能した。
この試合で潮崎は、ノア帰還以来初の「シオザキ」コールを受ける。観客が擦れ切っていなかった大阪の地であることも利したであろう。
コーナーでの激しい頭部へのエルボー、予選スラムは着地。スピアーを膝で迎撃。豪腕ラリアットは左のラリアットで返され、張り手の乱打を受けて崩れ落ちる。その間もコールは止まない。ナックルは中山レフェリーが阻止、その間に復活した潮崎が豪腕ラリアット、リミットブレイク、再度の豪腕ラリアットでピン。
気がつけば横の鈴木軍ファンの青年は、激しい試合に感嘆の声をあげ、「どっちもすげえ」と潮崎の勝利に拍手を送っていた。
当時ノアのマッチメイク権限を持っていたのは、キャプテン・ノアという名でノアの興行に帯同していた選手であるともっぱら言われている。それが本当だとして、一体彼が何を考えてこの大阪の試合を設定したのかはわからない。
潮崎の帰還を許した時点で、遠からず杉浦戦を迎えることは予定に入れていただろう。
だがこれは劇薬である。杉浦と潮崎の間にある物語は、鈴木軍が1年のうちに作った虚構のドラマではない。7年前から続く本物の「ノアの未来」の物語なのだ。一旦それを見せてしまえば、人々は虚構の幻から醒めてしまう。観客だけではなく、選手もだ。
試合後コメントで潮崎が語った「もう二度と手にすることはできないと思っていた」「長い道のりの半年間」「つらいことばかりだったが、それは俺が歩まねばならない、俺が選んだ道」「これまでこのベルトを巻いてきた人たちが築き上げてきた歴史」といった言葉に比べれば、続いて発せられたベンジャミンのWWEで培ったいかにもなプロフェッショナル精神を感じさせる挑戦の言葉はあまりにも作り事めいていた。
この半月後、6.13後楽園ホールでベンジャミンの挑戦を退けた潮崎は、三沢光晴の遺影の下で再入団を直訴。観客の声援の後押しを受け、丸藤にノアのジャージをかけてもらい、再入団を果たすのだった。
ちなみにこのベンジャミン戦に至っては、乱入ゼロ。鉄柵にジャイアントスイングの要領でぶつけまくったり、テーブルクラッシュも飛び出すハードコアめいたベンジャミンの試合には乱入の必要もなかったという判断かもしれないが、個人的には潮崎の持ってきた「本物」の感情を伴うドラマを前に、虚構がその威を失ったという印象を受けた。
5度目、その反動であろうか、7.30後楽園ホールで行われた杉浦のリマッチにあたる5度目の杉浦対潮崎GHC王座戦は、虚構の中の泡沫のような試合だった。
形式からしてランバージャックマッチである。マッチメイク権限を持っていた選手としても、潮崎入団を経て再度虚構のドラマの巻きなおしを計ったのかもしれないが、とにかく乱入とパイプ椅子が入り乱れる試合だった(この試合で最も納得がいかないのは、ヨネが杉浦にキン肉バスターをしてしまった事だ。潮崎側にはベビーフェイスに徹して欲しかった)。
終盤は杉浦のワンツーエルボー連打からの後頭部エルボー、豪腕ラリアットをエルボーで迎撃しての左ストレート、二回目の予選スラムでピン。はっきり言えば物足りない試合だった。それは5月6月に本物の物語を見てしまった観客としては、当然の事だ。
しかし一旦呼び起こされた本物のドラマの流れは、人を動かすのに十分な呼び水となったのか、この年の11月にエストビー株式会社に母体を移した新生ノアが誕生し、鈴木軍駐留時代は終わりを告げる……が、まあそれは憶測である。

やたらめったら前提が長くなってしまったが、かようにこれまでの杉浦潮崎戦は黄金カードのポテンシャルを備えていながらも、恐らく2010年のものを除いて、微妙に十全な状態ではない状況下での試合だったのだ。
そして2018年である。
昨年の心臓手術を終えてから絶好調、3月の文体から拳王、小峠、丸藤と下してのV4戦となる杉浦。
過去の自分のごとき若手の清宮と組んだGTLで、鬼神の強さを発揮し、ほぼ一人で杉浦拳王組を下して優勝した潮崎。
共に過去最強と呼べる仕上がりで、何の邪魔も無い状態。
前哨戦では潮崎が圧倒的な強さを見せつけ、7.31横浜大会では直接ピンフォールも奪っている。
キャリアによる経験の差もほぼ埋まり、9年かけて漸く、初めて対等の条件が整ったのがこの8月18日だったのだ。
この日の凄まじい試合の中で、ひとつ特筆すべき事があるとしたら、潮崎が過去の試合のように「痛がる」瞬間が事が無かったことだろう。全日所属時代、渕正信に「三沢光晴に匹敵する受けの上手さ」と言わしめたその受けの天才ぶりを十二分に発揮しながら、間を置くことなくすぐさま立ち上がり、反撃に転ずる……。恐らく過去の杉浦も潮崎に感じて来たであろう「後一歩の物足りなさ」を完全に解消した試合だった。
それは潮崎が全日本プロレスへの移籍によって……そしてその全日本プロレスが分裂の危機に見舞われて対戦相手の選択肢が無くなり、業界最高峰の「あたりの強さ」を誇る諏訪魔と激しい試合を繰り返し続けたことによって磨かれた打たれ強さだ。
そもそも、その諏訪魔との対戦は、ノア退団後の潮崎が真っ先に希望したものでもあった。誰との試合が最も自分を磨くものとなるか、感じ取っていたのかもしれない。
2011年9月23日、潮崎の持つGHCヘビー級王座に挑み敗れた高山善廣が「あの右手、名刀ってさ、焼かれて叩かれて強くなるものじゃん。あいつには焼くやつも叩くやつもいなかった」とコメントした事がある。これは潮崎二度目のGHC王座戴冠のV2戦だ。
潮崎にはずっと、ライバルとなる同期がいなかった。お互いの一勝一敗に感情を揺さぶられながら切磋琢磨していく相手、自分の力量を測る指標となる相手を持つ事ができないまま、キャリアを重ねていた。
諏訪魔は、同じ2004年にヘビー級でデビューした同期である。そしてそれ以上に、2012年6月23日の名古屋大会のお互いに吸い寄せられるような試合を見るに、胸に期するものを抱いたのであろう。
そして初めての「ライバル」との戦い、激動する全日本の荒波で自らを磨き上げた潮崎は、2015年1月2日、ついに三冠ヘビー級王座を戴冠する。この試合はまさに、かつて秋山準が彼に期待した大輪の花を咲かせた試合だった。だがその花を肝心のライバルであった諏訪魔は見なかった。潮崎が戴冠した三冠戦の相手は、ジョー・ドーリングである(彼はキャリアこそ違うが、潮崎と同い年だ)。諏訪魔は潮崎の三冠に挑戦しなかったのだ。ゼウス、宮原を迎えた防衛戦で、彼らを次の段階に引き上げるような試合をした潮崎は、チャンピオンカーニバル準決勝で脇腹を負傷、世界タッグ王座を奪取して五冠を達成するも、すぐさま曙相手に三冠を落としてしまう。そして……世界タッグの相手にも諏訪魔は名乗りをあげず、そのまま潮崎は全日本を退団したのだった。鈴木軍禍に揺れる方舟に帰還するも、虚構の中にあってはその実力を出し切れず、また新生ノア以降もまだどこか「引け目」を感じさせる立ち居振る舞いが残っていた。それが完全に払拭されたと感じたのは、清宮とのGTL優勝以降である。
そして8月18日、潮崎はすべての箍を外し、最強のチャレンジャーとして杉浦に立ち向かった。
中盤過ぎには、全日本時代以来封印していたトップロープ越えのノータッチトペ、(防がれたものの)ムーンサルトプレスも敢行。新技としてブラックタイガー式シットダウンパワーボム(スプラッシュマウンテン)も披露。30分を超えても試合はまだ終ることなく……試合は永遠に続くかと思われ、二人は不死身の人々であるかのようだった。ジャーマンの掛け合いから意地の頭突き合戦にエスカレート、だが豪腕ラリアットのカウンターで左ストレートを入れられ、再度の豪腕ラリアット敢行は堪えられ、左ラリアット、顔面へのニーからの二度目の予選スラム。カウント2で返すやコーナーにセットしての雪崩式予選スラムでピン。34分22秒の激闘に終止符が打たれた。
大輪の花、そして真の意味で磨き抜かれた名刀を受け止めたのは、やはり9年前からの因縁を持つ杉浦貴だった。
この日出された予選スラムは雪崩式も合わせて3回。フィニッシャーがフィニッシャーとして機能しない、命と魂を賭した究極の消耗戦。先述したように、一週間後ゼウスが流山で石川修司相手に行った試合も同種のものだった。潮崎を指標として邁進し続けたゼウスが結果としてたどり着いたのは、実のところ現在の全日本的というより、よりノア的な…つまりは四天王プロレスの世界に近しい試合であったというのは、必然であったとも言えるだろう。


杉浦は敗れてリングを去る潮崎に「俺がベルトを持っている間は、ずっとお前の前に立ってやる」と言った。
この日、「ノアの未来」は「ノアの現在(いま)」となったのだ。それは、現在のメルクマールだ。この杉浦と潮崎のGHC王座戦こそが、現在におけるGHC王座戦の指標である。
最高到達点とは言うまい。まだ先があるかもしれないから。

 

 

 

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ベストバウトの話にかこつけて、潮崎豪という選手のことをざらっと書いた感じになりました。もっと細かい話もいっぱい書けるのですが、大きな流れとしてはこういう風に彼を捉えているという史観……私観をどこかで書いておきたかったのです。

 

改めてまとめて思うけどやっぱり毎回終盤の左ストレートがなー。反則だから納得いかない気分にはなるけど、反則入れられたから仕方ないか……という諦めにもなるので、どうにもこうにも。
ベストバウト次点(4位)は4.11後楽園ホールのGTL決勝です。
2009年のGTL決勝を美しくなぞり、潮崎にとっては「三沢光晴最後のパートナー」としての業を昇華した、個人的にもこんなに他人の事で泣くことがあろうかというほど泣いた試合でしたが、タッグの試合としては潮崎が一人で頑張りすぎて清宮くんなにもしなかったなーという感じなので次点で。

あとやっぱりゼウスには、もう少し防衛記録を伸ばして欲しかったですね……。


プロレス大賞っぽく、他の部門を適当に書くなら以下のような感じです。
MVP&殊勲賞:丸藤正道
全日本との国交復活、WWEとの交渉成功という二つの大きな風穴を業界に空けた事以上の活躍があるでしょうか。20周年イヤーに相応しい大事業であったと思います。
敢闘賞:杉浦貴
約1年にわたって激闘を繰り広げてきたゴリラのお父さんに何か賞をあげたい。
技能賞:潮崎豪
明らかに経験不足な清宮とのタッグを優勝に導いた事をはじめ、高橋奈七永とのミクストシングルや、ほぼジュニア級選手ばかりのD王GP出場など、難しい試合にすべて完璧な回答を出した戦いぶりに、あえての技能賞を送りたい。永世技能賞は小川良成
ベストタッグ:野村直矢青柳優馬
この1年、アジアタッグ奪還以降の成長が著しかったので。それでも最強タッグではなかなか勝てなかったが、確実に良い試合をするところまでは到達していた。来年は非常に楽しみという意味でのベストタッグ。孫びいきではない。