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Gazes Also

…もまた覗く

虚構の力

月初めにお誘いを受けて『シン・ゴジラ』を観てきました。最近本当に映画を観に行く回数が減っているので、タイムリーに新作を観るというのはかなり久しぶりです。

すでに巷間では喧々囂々意見の大合戦状態なので、大体言いたいことを言ってくれている方も出尽くしていて、今更新規に何か言うべきこともないかなあとは思うのですが、めずらしく新作を観たので感慨を残しておこうという気持ちでエントリを開きました。

以下ネタバレがありますので、基本的に鑑賞済みの方だけ読まれるように願います。

 

とはいえ賛否いずれもすでに以下2つのエントリで事足りるだけ書かれておりましたので、まずはそのリンクを貼らせていただきます。

gendai.ismedia.jp

d.hatena.ne.jp

そうなんですよね。

一本のフィクションとして、特撮怪獣映画としては本当に優れた作品でした。観終わってからしばらく同行者と「面白かった…」「さすが…」「すげえ…」的な感嘆の呻き声しか出ない状態でした。

しかしそれでもやっぱり気にかかるのは、東日本大震災福島原発事故のあからさまな投影でありながら、それに対する作中の処理があまりにも夢見がちであったことでしょう。現実を虚構に落とし込んだ作品はいくつもありますが、どうにもねじれの違和感が残る感覚がありました。

島本和彦先生は完敗宣言をしているようですが、それこそ「自分がどうしていいかわからんものを作品の中でいーかげんな結末をつけるな――!」(『燃えよペン』)という感が沸くというか……。

私は初代ゴジラを愛してはいるのですが、戦争と原爆の投影であったゴジラにも「こんなに上手く行かなかったじゃない」と思った当事者も多かったのではないかと漸く思い至りました。

アラン・ムーアが冷戦のキューバ危機をモチーフに描いたコミック『WATCH MEN』も大好きなんですけど、本気の当事者にとってはなんだこのイカは舐めんなという感じもあるのでしょうか。

まあいずれもそういった否定的感情を覚えた人間よりも肯定的感情を覚えた人間の方が多かったため、後世に残る名作となったことは確かだと思うのですが……。

第二形態が蒲田を遡上するシーンは震災の時のニュース映像で幾度も観た光景をかなり丁寧に置き換えていたため、当時の衝撃が蘇り、本当に久しぶりにフィクションの恐怖で震え上がるという体験をしました。

立ち上がればマンションをも飲み込む、というアレはちょうど津波くらいの大きさでしたよね。私は実家が関東唯一の被災地となったため、震災の夏に実家に帰った時、まざまざと残る津波の爪あとの大きさを見て、なんというか被災当事者でこそないものの、故郷が壊れる感覚というものに触った人間のひとりです。小型船舶が勢いで押し流されるカットのリアリティは、本当に勘弁してくれという気持ちになりました。

この第二形態のシーンですっかり震災・原発モードにスイッチが入ってしまったため、以降のお話は「そういうもの」としてしか観られなくなってしまいましたし、「そういうもの」として観る人が多くなるであろうことを見越してこそ露骨にニュース映像へ寄せてきたのでしょう。

だからこそ、有能な官僚が手際よく物事を片付けていく様にはフィクションの快感を覚えつつも「いや~…こんなサクサク行かなかったじゃない…」「主人公たちはこう言ってるけど、被災地の保障はちゃんとされるのかなあ…なんか適当にごまかされたり打ち切られたりで辛い思いをする人がいっぱい出ちゃうんだろうな…」みたいな気持ちがずーっとありました。

そして最後に「ゴジラの新元素は半減期20日」と判明するシーンで、ものすごい肩透かしを食らうわけです。今までのそういった緊張はなんだったのかと。

「怖がらせちゃったかな? これは虚構なんだよ」という微笑みと目配せを感じました。正直スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの『チェルノブイリの祈り』を5冊くらい持って殴るぞという気分にもなります。

いや、虚構なのは百も承知、フィクションのハッピーエンドとしては本当に良かったねというシーンです。オガシラさんも思わずにっこりなカットにはときめきを覚えました。しかしこの映画に関しては、ドキュメンタリーテイストで現実を踏襲しつつ虚構へと捻じ曲げたねじれ、そのねじれの変曲点である「半減期20日」を飲み込むことは、私には困難であるというだけの話です。(初代ゴジラは平気だったので、やっぱり震災についての体感の差でしょう)

まさに。

面白かったんだけど、考えれば考えるほど「うーん」という気持ちになってしまうのは、度数の合わないメガネでものを見た「酔い」によるものかもしれません。

その「酔い」こそが、熱狂を生み出しているのもわかりますが。

 

www.jiji.com

 ただまあ、私などよりももっと故郷の被災経験で苦しんでおられる永野のりこ先生が、心に寄り添ってくれるような作品であったとコメントされていたことは重要かと思いますので、反証メモとして残しておきます。

 

 

既に大騒ぎになっている政治性や思想性の問題に関しては、本人たちの意図がどうあれ、あそこまで美意識を積み重ねたものは思想性を帯びざるを得ないということだけは確かだと思いますし、それが既存の思想に親和性を持つのは当たり前かと存じます。

プロパガンダ性の問題として危ういのは、兵器の活躍などよりも、いわゆる日本的精神性の美化の部分ではないでしょうか。ただこれも、庵野監督が「いわゆる特撮のそれっぽいお約束台詞」として入れていただけで、本心から信じているような演技付けがされていないなとは思ったのですが、単に演技指導がへたくそなだけかもしれないのでなんとも。
引用させて頂いたブログでも書かれておりますが、幕僚長の「仕事ですから」は本当によろしくない。その「仕事ですから」のお題目、要はブラック企業精神で散々に人間を壊してきたのが不況の現代日本だと思いますし、あくまで「仕事」でしかない、という切り離したものの考え方こそが大きな悲劇を生むという経験を我々はすでに経ているはずなのです。

例えばこれが首都圏ではないどこかの一地方を舞台にしていたら、その「仕事」にもだいぶぬるいものが入ったんじゃないでしょうかね。そう邪推してしまう程度には熊本地震の復旧はされていないわけです。

 

そう、震災・原発のモチーフを東京を舞台に行ったというのも重要なことで、この映画はいずれ再び起こる関東大震災のシミュレーションという側面もあるわけです。

ついでに言えば、まだ変態の可能性を残したゴジラが東京のど真ん中にいるのは、「東京に原発」の暗喩とも取れますし、じゃあそこに政治経済の中枢を置きっぱなしにするかというと、やっぱりそうは考えにくいですよね。それこそ第三新東京市とか作られそうだなと。

 

あと少し気になっているのは震災と原発に具体的な姿を与えた今、これをキャラクター商法で消費することが、今後どのような効果を生むかということです。早速さまざまな企業とコラボキャンペーンをしていますね。でも結構「グロかったし…」という感じで首をかしげている人も多いようですし、果たして成功しますでしょうか。

私はTV放映時14歳のジャストなエヴァンゲリオン世代でして、当時の実感として私達の学年は、ギャルやオタクといったクラス内カーストを越えてエヴァをごくまじめに観ている子が多く居ました。私もそのひとりで、夏の映画(EoE)を観た後、魂が抜けたような気分になって家に帰った日のことをよく覚えています。

にも関わらず、私はリメイク版を観ていないんですよね。

なぜかと言うと、旧劇場版以降さんざん起きた論争と、何よりもあの陰鬱な作品をキャラクター商法で消費して楽しむことに忌避感を覚えていたからです。具体的に言うと、パチンコにして楽しいものじゃないだろう、という。弐号機が量産型にたかられるリーチとか見たくないよ…という。

シリアスなものや陰惨なものをキャラクター商法で矮小化し楽しむ、という行為は、本質を見誤る危うさを孕んでいることは疑う余地もありません。

フィクションには、キャラクターには、虚構には、大きな力があります。

教訓話としての童話などから始まり、多くの人間は幼い頃からさまざまな虚構の物語によって矯正を受けて自意識を作り上げます。

現実と混同するわけがない、なんて言う人は、よっぽどフィクションに興味が無い人なのでしょう。私はオタクで小説や漫画や映画に人生を左右するほどの影響をたくさん受けてきたからこそ、その虚構の力を思い知っています。

虚構は楽しい。

虚構は優しい。

虚構は素晴らしい。

だからこそそれを消費するときは、自分の心がどこに流されていこうとしているのか、注意を怠らないことが必要なのです。(特に大人は)

 

ただの円谷系怪獣好きとしては本当に、遠景でのゴジラの撮り方が120点満点すぎてめちゃくちゃ興奮しましたし、そうだよ! 怪獣はMAP兵器なんだよ! とめちゃくちゃ頷きまくりました。褒めるだけでも多分1万字イケるくらい最高の作品でしたね。

コンテがトップやエヴァのいつものスタッフだったことがエンドロールでわかったときは、快哉をあげたい気分でした。さすが! やっぱり映像はコンテが大切だよ!!

庵野ありがとうと生まれて初めて思いました。(エヴァの時は思わなかったんですね)

でもこれ、ただの特撮として観たらここまで色々思ったりはしなかったでしょうし、困ったなという感じです。

 

まあ何にせよ、最終的に脳に残ったのは宇宙大戦争マーチでした。

伊福部昭最高。

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