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Gazes Also

…もまた覗く

少女閣下の独裁政権

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 少し時間が経ってしまいましたが、7月8日に少女閣下のインターナショナル活動休止前ラストライブ『少女閣下のインターナショナル殺人事件』に行ってきました。
会場となった新宿MARZは超満員。基本的に腰をイワしている身でもあるので後方でタイガー観戦を選んだ私は舞台がほとんど見えませんでした。肩車されたりダイブでオタクの頭の上をころころ転がるメンバーが見えたくらいかな? それでもMARZの良い音響と臨場感で十分満足できましたし、やはりあの場に居られて良かったという気持ちです。過去脱退した雨宮あまめ、二文字杏の二人も揃った七人少ナショは、本当にヒーロー大集合の趣きでした。
ありがとう少ナショ、また会う日まで。もし会うことが無くても、「それはそれで」皆それぞれの道を楽しく力強く歩んでください。

 

 最初で最後のアルバムとなった『殺人事件』も素晴らしい作品で、皆の姿をライブで見ることができなくなっても、曲は永遠に流し続けられるので寂しくは無いです。音楽は永遠性が高いなあ。
『怨み節/マカロンウエスタン』と『No where on-do』が特に好きです。『No where on-do』は初披露の渋谷eggmanで杏ちゃん(あえて選ぶなら少ナショ一推しでした)が間奏の間に次々と他メンバーを殺害していったパフォーマンスも含めて、心に残る一曲となっております。
へんてこアングラテイスト良楽曲群とそれをあやうい綱渡りで表現しきったメンバーの素晴らしさ、小ナショの魅力が詰まった一枚でした。

 

 

殺人事件

殺人事件

 

 ↓こちらでハイレゾ版の試聴もできます。

ototoy.jp

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以下は、 少ナショに出会って考えたことなどを散漫ながらメモっておこうと思います。

 

ヒーローになってあげるよ

私の本現場(?)は現在基本的にプロレス観戦(全日本・NOAH中心)です。アイドルはハロプロが好き…と言っても一番大好きだったBerryz工房も活動停止している今、アイドルに対してはさほど積極的なモチベーションを持っておりませんでした。ましてやインディーズアイドルと接点を持つことなど、冷静になって考えれば大変なイレギュラーです。
しかし現場までのステップはごく単純でした。

2015年9月28日、私の現在の一推しである潮崎豪選手が全日本プロレス退団を発表。箱としての一推しである全日本という団体から個人としての一推しが去ってしまうショックは計り知れず、完全なるパニック状態に陥る

パニックが続く10月中ごろ、愛読しているロマン優光さんのコラムで、プロフィールが「少女閣下のインターナショナルの里咲りさに夢中」に変わっていることに気付き、なんとなく検索にかける

『真夜中のニャーゴ』の少ナショ回を見て、お金の話を何度もする里咲社長のギラついた計算力に引きずり込まれる(私の一推しに無いのはこういう部分だなーと真剣に思っていた)

youtu.be

ソロ咲曲を聴いて好きになる

気がついたら大阪FANJtwiceでの『皆殺しフライデー』を何度も聴いていた

youtu.be

11月1日、渋谷eggmanでの初ワンマンがあると知り参戦

まずパニックから始まっているのが酷いですが、心が弱っていたところにスッと現れた少ナショは、まさに「ヒーローがいないならヒーローになってあげるよ」という歌詞そのまま、へんてこなところから私に手を伸ばしてくれたヒーローでした。
(その後少ナショ活動休止発表の5月2日から1ヶ月足らずの5月28日、潮崎選手はNOAH大阪大会でGHCヘビー級王座を戴冠、心のヒーローとして完全カムバックしてくれたことも、なんというか奇縁…へんてこ縁ですね)


これが少女閣下の独裁政権

私はインディーズアイドルシーンに無知な人間なので、彼女たちの特殊性を他のアイドルたちとの対比で語ることはできません。恐らく少ナショが生まれるべくして生まれた道筋などが存在しているとは考えられますが、それを知るには現場性の高いインディーズシーンの沼は深すぎるもの。
ただ、活動休止に際して書かれた以下の二つの記事、そして新宿MARZで購入したタブロイドのインタビューから垣間見える彼女たちやスタッフさんたちの思いを汲み取り想像してみることはできるかもしれません。

note.mu

ototoy.jp

そして忘れてはならないオタクたち(ナ庶民)。

 

なんとなく、少ナショの楽曲世界観に現されるアングラ感は長田氏由来のもの。それを生身のアイドルとして再構築したのがメンバー。それを肯定し世界観として造り上げたのがオタク、というように私には思えました。
インディーズシーンに詳しくない人間でも、これが稀有な事例であることは察せられます。
アングラな大人と、アングラを目指してはいなかった少女たちと、少女たちを肯定することに命をかけるオタクが奇跡のバランスで噛み合ったのかもしれません。そのすべてをくっつける糊になっていたのが里咲りさ社長という、大変才能のある女性であることは言うまでも無く。
このまま続けてメジャーになることもできたのでは? そういう実力を彼女たちは保持していたのでは? という意見も見かけました。気持ちはわかります。しかし、恐らくこの奇跡はインディーズで、しかも彼女たちがこの年代であるからこそ起きたものでしょう。これ以上路線を明確化するには、「本気でアングラ表現を目指す」or「アングラは風味だけに抑えたアイドル」に舵を切る必要が出てきてしまうでしょうし、そうなれば『殺人事件』のような奇跡のバランスはいずれにせよ失われてしまいます。
個人的にはやはり、アングラ志向のメンヘラ系女子ではない女の子たちが、地下劇団のようなことを楽しくワイワイとしているのが面白かったです。
魔法使いのお兄さんにかわいいステッキをもらいに来たのに、大きなアーミーナイフを渡されて、戸惑いながらも構えたその手をオタクが支え、結果的にみんなで楽しく遊んじゃったみたいな感じ。女の子たちは大きな武器を振り回す楽しさに自分を解放し、魔法使いのお兄さんは自分の武器が活用されているのを眺めて楽しみ、オタクはお祭り騒ぎ。
少女閣下の独裁政権は、大いなる共犯関係によって成立していたのかな、と思います。

 

 ★少女閣下の世界征服

ワンマンの感想でも書きましたが、少ナショはみんな表現への欲求とパワーが爆発していたのが本当にすごかったです。

 

gazesalso.hateblo.jp

前世紀末で青春を終らせた人間なので、今まであまり実感していなかったのですが、女性アイドルというのはもう、表現に飛び込みたい女の子たちのひとつの手段となっていたんですね。
私達の世代の頃は、表現衝動は同様に存在していたものの、実際に舞台に立つまでのハードルはもっと高かったように記憶しております。男の子たちがバンドを組むような感じで飛び込める女の子の世界というものが、なかなかありませんでした。あえて言うならギャルサーの雛形みたいなものがそれに類するものであったかもしれませんが。(過剰なヤマンバメイクなども表現衝動の現われだったと言えるでしょう)でも田舎にはギャルサーなどありませんし、若い女の子の自己表現衝動に対して門戸を開け放していてくれていたのは、アジール的なファン・バンギャ文化や、オタクや同人誌の世界くらいだったというのが狭い観測範囲ながら私の実感です。
でも2016年現在、女の子たちはアイドルという手段を得ているのだなあと。
男性が作り出した虚像的な側面のあるアイドルという仕事を、今や自分たちの道具として支配下に置いた…というと大げさかもしれませんが、そういう感慨を覚えました。よかったね女の子。まだまだ騙されたり傷ついたり、搾取されたり無碍にされることも多いとは思いますが、願わくば女の子たちのそういったパワーがこの世界を征服することを望みます。

 

 

もっとたくさんの女の子たちが、わたしがわたしでいられるばしょにたどりつけますように。

それがたとえ一時のものであったとしても、そういったばしょを知った人間は強く生きていけることでしょう。

 

 

 

最後に、1月にあった二文字杏脱退公演『本日の二文字杏』で杏ちゃんと撮っていただいたチェキを貼っておきます。

私の人生初チェキであり、今のところ次の予定はありません。

撮影前に杏ちゃんは私に対して「お金もってそう…!」と言っていました。しかし実際の私は大変貧乏なサラリーマンなので、杏ちゃんのお金もってそうスカウターの性能があがることを望んでやみません。

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こちらこそ歌を聴かせてくれてありがとう。

杏ちゃんの毎日が楽しく明るいものであることをお姉さんは祈っております。